!徹底分析!
「トルシエの敗北、ヒディングの勝利」

私の職業は、サッカーコーチである。

今回のワールドカップのテレビ解説にでてくる、元日本リーグの選手あがりや、Jリーグの指導者あがりの人物たちを、その選手時代からコーチもしているから、ゲームへの興味も、彼らのコメントも、ともに期待するのだが、まだサッカーの解説やら、新聞・雑誌でのサッカー評論というようなエリアで、何が正統なのか確立されているのでもないのだろう、だいたいは音を消す。

解説者や、評論家の口説を聞かないで、ただおのれの目で、ワールドカップを見て、この稿を書いている時点では決勝戦前なので、個人的には、日本の試合振りについてサッカー人としての思いと、驚きの、韓国のベスト4進出の二つについて多くの人のFeed Backが関心あるところである。

ワールドカップ直前に、代表をウオッチしていた人々にとって、気になることがいくつかあって、その,一つが、レアルマドリッド戦で、0―1だが、その失点は相手のフリーキックを防ぐに、日本、守備ラインをいっせいにあげてオフサイド・トラップをとりにいき、1失点。次に、ノルウエーとやって、フリーキックでまた、オフサイド・トラップをしかけたが、宮本がラインを上げた瞬間には、相手はボールを蹴らずに、故意に動作を止めて、その直後にも同じ判断をした宮本をあざ笑うかのように、2列めから飛び出してきた、相手に決められた事、さらに2失点直後に、どちらかといえば守備の人、服部をだして、攻撃をかけるでなく、守備にてこいれをした事、さらには、最終選考の結果発表の場への登場を、監督フイリップ・トルゥシェ氏がキャンセルした事などであった。

トルゥシェ氏が、4年前に監督就任して以来、彼がとなえたのが、フラット3という守備の戦法であった。最も簡単にいえば、守るゴールと、最終に位置するバックの、あいだに、相手が来たら、失点する。この状態を「裏」をとられる、と言い、そうされないためには、ボールに挑戦すると同時に、意図的に「裏」を狙って来るボールに反転能をみがいて相手より、先に取らねばならぬ、それがいわばオーソドックスである。

トルゥシェ氏は、彼の独創ではないが、裏へでてくるボールの守備を、バックの個々の判断に求めず、横一線になって(フラット)息をあわせ、ボールの動きに応じての前後左右の協働を求め、オフサイド・トラップを多用する守備の戦法を導入した。この人数が3人なので、フラット3である。マスコミ御用達の評論家や、解説者がここ4年間、フラット3の喧伝でお先棒をかつぎ喋り散らしたので、オーソドックスを言うものは時代遅れとされた。時代遅れから見えたことは、このフラット3が相手に分かれば、逆用されてきわめてリスキー、チームが崩壊するのではないかという危惧が一点、他には、本番を直前にして、理由はいかにせよ不出来な2ゲームをしての、指揮官トルゥシェ氏の、ナーバスさ、それで大一番だいじょうぶなのかという不安、私などは、リーグ戦で、トルゥシェ氏の自己崩壊もある、と、仲間にはよたを飛ばしていたりしていた。

サッカーでも心・技・体の準備が大事で、監督の一つの仕事は『良い準備』をすることだろう、それと現場での指揮能力のふたつが問われる商売である、そして準備と指揮能は切っても切れない。守備の戦法で、フラット3は、準備したが、攻撃はどうか、リードされた時の交代策は、どう準備してきたのか、以前から、サッカー界では議論があったが、それは省略する。

ワールドカップがフランス対セネガルで開幕、前回王者フランスがセネガルに敗れて、波乱の予兆が感じられた。フラット3の実際の動きは、ベンチからの指令によるわけにはいかない、監督がそれを託す選手として、森岡が指名され、日本もベルギー戦をむかえた。

結果として森岡が負傷で途中退場、2-1のゲームで、自分などは、そこに秋田投入だろうと思った、秋田は空中戦に強い、宮本は、森岡の欠場の際には、ラインコントロールを現場でやる役割がトルゥシェ氏から、期待されているわけとはいえ、ラインをあげにいってオフサイド・トラップをかけ、で、ノルウエー戦と同じように、2列目からの選手が無抵抗でシュート、2-2とされて終わったが、史上初のポイント1をあげたということで、すべては流れ去り、より強敵なロシアといかに戦うか、にわか監督が日本中に出現し、一気に、W杯モードに突入した。

時代遅れは、ベルギー戦での2失点を、その前述の練習試合からの継続的欠陥として観察していたから、「練習ゲームでうまくいかない」事が「真剣勝負で、うまくいくわけが、やはりなかった」とあたりまえに思った。思ったとしても、こちらの声が伝わるわけもないから、せめては、マスコミの評論やテレビの解説者に期待した。極言すれば「フラット3は中止」という流れに、なっていたかという事である。表現はさえないが、そこはサッカーの専門家だから、ベルギー戦での日本の不具合を見ぬいている人もいた、言い方は別だがフラット3に不安を感じてはいたが「やめろ」とは、言い出しかねていたようである。

ベルギー戦後、私がウオッチしていたのは、宮本が、インタビューで「選手として、この大会に参加できてよかった」というすこし脳天気な発言をした事、別にしおれて、自分に責任があります、と言う必要はないが、守備の問題を感じてもらいたい人物なのだから、その事を感じさせてほしかった。守備について、「うーん」とでも、うなっていれば、よかったのである。もうひとつはトルゥシェ氏は、ゲーム後ビデオを選手に数回見せて、ほら「あれは、(おそらく1失点目)オフサイドであった」と強調したという事であった、つまりこれを翻訳すると、トルゥシェ氏はベルギー戦後におのれの教条を放棄はしていないという事であった。

ロシア戦のまた守備を言う。それは簡単にいえば大健闘をした。強敵ロシアを相手に、トルゥシェ氏は、最初のゲームの先発のほとんどを、すなわちここ4年間の彼の準備を通じて、彼がもっとも信頼をよせた11人をグラウンドに送りこんできた。才能を別にひけらかさない人という感じである、言説では物議をかもす、がサッカーではプロだ、はたの人間がどう言おうが、(フォワードが得点をいれないので、サントスを出せとか、いうテレビ小僧には耳を貸さない)しかし守備は、オフサイド・トラップをかけることもしていたが、専門的に言うと、相手が繰り出す、ゴール前へのボールをとりあえずはねかえしても、むやみにラインをあげず、次の攻撃にそなえていた。そしてそのことは多少サッカーをかじったことがある者なら、一目で見て取れた。

テレビ等で、その守備を表現するのに、「フラット3はもはや行われていない」とは言いきっていなかった、ある者は「きれいに」選手が自分で、判断し、と言い、別な者はもう少し過激に「選手がトルゥシェ監督の庇護を離れて育ったのだから」といずれも肯定的ないいかたをした。

リーグ戦最後の対チュニジアは、楽なゲームではなかったが、相手が守ることを意識しすぎて、日本が守備でその問題を問われるという事なく終わり、日本人の熱狂が頂点にむかって昇りはじめた。

トルコってなーに、という楽観論はトルコがブラジルと死闘を終えた今では、まったくお笑い草だが、それはよいとして、トルコに勝つためにどうするのかを戦前にシミュレートしていたとき気になった事がふたつあった。

ひとつは、トルコ戦を前に、日本代表の練習がテレビで公開され、そこでトルゥシェ氏が、おなじみの、彼自身でボールを、手にして、松田、宮本、中田(浩)の3バックを前進だ、後進だとまるで、ダンスを踊るように指揮している姿であった。私はそれを見てびっくりした。「なんでフラット3の練習をしているの、それは2ゲームではやっていなかったではないの?」と、もう一つは、同日のトルゥシェ氏の記者会見で、記者が「もはやフラット3は崩壊しているのではないか?」と聞いたら、にわかにトルゥシェ氏が感情を害して、そこから先翌日のトルコ戦直前まで、選手に怒鳴り散らしていたというのである。

トルコ戦当日、雨の仙台でトルコの監督はベンチを出てスーツがぬれるのをかまわず、選手を叱咤激励していたが、トルゥシェ氏は、ベンチを出るでもなく、どこか心ここにあらずという体で、そしてそれ以前にあの先発メンバーであり、理由のわからぬ交代策で、というゲームになった。

トルコのハカンシキュルは、190センチの長身トップで、今大会は不調だが、制空権をとれる良いフォワードである、トルコの攻撃はその、ハカンシキュルを先頭に、ユルブリンナーに容貌似た、ハサンシュシュをどこにでも行かせて、相手の驚きをひきだしたい、そうして走り、ボールを受ける選手に、パスを供給するのがパシュトルクという布陣だが、それを中央からの、攻撃系とすれば、ウミトダバラに右からクロスをあげさせて、外側からの攻撃系を共に演出するという考え方である。それぞれにすぐれた選手で脅威を見せたが、日本の守備はなんとか押さえてはいた、それは監督の構想と、選手の自説が仮に異なっても、選手の、闘争本能はゲームになれば、スイッチオンになる、それで別にいやな雰囲気が漂うという前半ではなかったが、相手のコーナーキックで、(それは今でもヴィデオのリプレイで確認できるが)日本の守備がゴール前で確かに、ラインをひいてしまったのである。フラットを一点疑いもなく、採用したとしても、コーナーキックではオフサイドはないのだから、一人一人は相手に体を密着させるのが、基本である。その結果、こちらの守備は、その後の他国の闘いのなかでコーナーキックを注意してみればわかるが、ラインをひいているところなど、どこにもない。ダバラが、無抵抗の1点を入れて、そののち、トルゥシェ氏なにか白昼夢から覚めたかのような感じで、手馴れたフォワード、鈴木は出すが、西沢を残し、市川を出しては、また森島に変えるという、誰が見てもの、下手の連発、その下手の下手たるところ、トルコ、日本の力量見抜いて、日本の攻撃、させるところは、自由にさせてやる、というゲームのやりかたに、終始したのに比べれば素人対プロのそれであった。

そして雨のなか、日本のワールドカップが終わった、「なにか不完全燃焼」を感じたというのが、その時の、日本人の感覚ではないか、しかし、その当座はその不完全燃焼がなにゆえかを言い当てる事もできず、それから数時間後に韓国がイタリアに勝つという驚愕のニュースと、ソウル市庁舎前に集まる韓国人の『大韓民国』とコールする熱狂を目の当りにしたのである。

それから以降、6月25日に韓国がドイツに破れるまで、わずか1週間だが、おぼろげながらに以下のことを考えさせられる日々であった。

まずアジアの両国ともワールドカップの準備と指揮を外国人(オランダ人ヒデインクとフランス人トルゥシェ氏)にまかせたことが急にクローズアップされた、日本敗退後、今度は、ヒデインク氏の韓国を観察するに、同じような体格の韓国選手に対して、予選から常にヒデインク氏は、パスをいかにつなぐかに、こだわっているように見えた。バックは、3バックだろうと4バックだろうと、監督がゲームの勝利にこだわると、「あがらせない」ように指令するのだが、「ほん・みょんぼ」には何のしばりもかかっていないように見えた。ついでに言うと、トルゥシェ氏は選手時代はバックであるが、ヒデインクはハーフである。オランダ人はもともと数か国語を話す人が多いのだが、ヒデインクの話す英語で韓国選手は「自立した大人として扱われているように」聞こえたが、トルゥシェ氏のフランス語の語感はわからないが、内容はいつも、子供の日本人がよくぞここまで育ってきたというような、内容が多い。

日本はそのフラット3ではなく「フラーっと終わってしまったような、トルコ戦」に比較して、イタリア、スペイン、そしてドイツと、韓国は激しく闘志を見せて、闘い、ヒデインク氏の容貌からも「あん・じょんふぁん」あたりでは、このヒデインクの顔が恐いだろうなと思える、好もしい容貌も見うけられる。

ヒデインクには準備期間が2年もなかったのである。また韓国サッカー界はかって、日本サッカー界の恩人ドイツ人コーチ、クラマー氏を最終的には排斥したこともある。外国人を受け入れるに際して、韓国人には、韓国人の受け入れがたさがいくつかあり、日本人は受け入れるのは易いが、最後に袂を分かつしかないということがあるのだろうか。

ヒデインク氏の場合、はどうして決勝点をいれた韓国選手が監督に飛びついてきたのか、職人(監督)と職人(選手)のあいだに当然合意ができていたのである、それは「こうやって、ヒデインクのサッカーで、勝ちに行って、選手は兵役免除や、インセンテイブを得る」そしてそれがそのとおりになっていくのだから、韓国選手はプロの喜びをそういう形で表した。

トルゥシェ氏は、そもそもの最初から、日本人選手をプロとしては認めていなかったふしがある。生徒のような扱いとでもいおうか、そして「トルゥシェのサッカーで、守りに行って、その守りが大事な試合の前に、選手がこのままだと自分たちのプロの市場価値がさがるのではないか、負けてしまえば、だめだから、トルゥシェ氏を祭り上げて、おのれの信じたとおりにやろうと、思った選手と、トルゥシェ氏の言う事を聞いてやろうと言う選手の間に意見の分かれもあったまま、それでは大一番には勝てないのは当然で」終戦してしまった。

大胆に言えば、選手はトルゥシェ氏に叛乱をしかけたふしがあるそれが言いすぎだとしても、トップダウン管理の文化とそうではない文化のぶつかりあいがあったのだろう、そうではない文化の所に、コンセンサスといれにくいのは、選手たちがプロとして、管理者トルゥシェ氏に、まともに対峙、コミュニケーションをとったかは不明で、選手同士で、守備の方法を話し合い、トルゥシェ氏の主張するところは、むしろ聞き流して、グラウンドへ出ていったような気がするからだ。

ではヒデインク氏と韓国伝統文化ではそこはどうであったのか?今後の聞き取りに興味がある。

トルゥシェ氏の精神解析を唯唯する材料も資格もないものの、管理については専制主義に固執し、尊大、偏執の雰囲気を自演した、トルゥシェ氏も、おそらくロシア戦でも、守備局面で、「彼が育てた、彼が一流にしてやった、彼がとりたててやった」と信じていた、チームに「どこか、おかしいと」感じていた、気がついていたと思えるしかし、それを叛乱とまで、断じることはできず、新聞記者から指摘を受けて「やはりそうか」と仮にそこで「切れた」としたら、それ以降トルゥシェ氏の精神状態はいかがなものであったか、それこそが対トルコ戦の分析で本質に達する途だが、残念ながら、材料は手元にない。

もっとも大胆な仮説は、トルゥシェ氏は、トルコ戦でおのれのデイクテーターシップを再奪取というか、選手や観客に見せつけるために、奇策を弄したのではないかということである。
彼は奇策とは言わず、冒険と言った。冒険でもなんでもよいのである。それを4年間、準備して暖めてきていたのなら、彼にとって、それは冒険でも奇策でもないというあたりまえのことである。また、この冒険とはいったい、何を意味するのか突き詰めた、ジャーナリズムを寡聞にして知らない。

さて、選手や監督に無関係に、ワールドカップは、単純なレバーをたいていの人々の心にかけて、ナショナリズムを引き起こす、そういうものである。

仙台のゲーム以前に日本に現出したものも、学者が、どういう定義をするも勝ってだが、現代日本にとっては稀有なはずのナショナリズムであったしまた、ヒデインク氏に率いられた、韓国チームがレバーをかけて韓国全土で、ひきおこしたナショナリズムはいかにもむきだしで、スケートの仇をとったと、アメリカ戦でのパフォーマンス、イタリア、スペイン、ポルトガルのヨーロッパの国々に韓国バッシングを起こさせそうな状況である。

しかし、それは『なぜか』といえば、単純な話し、韓国はベスト4まで行って、世界史の舞台に立った「から」である。世界史の舞台に立ってよいものだろうか、という躊躇を持つのが、現在の日本であろう、その結果の右顧左眄モードのかけらもないだけに韓国大丈夫か、といいたくなるほどそれは吹きあがった。

日本も、本当はあのレベルまで行ってしまったはずだという機会ではあったが、寸前で、
止まった、それを仙台以降に、韓国を合わせ鏡に、日本人は了解したのではないか?しかも、珍しくその「失敗の原因が」世界史に足をかけたところでの、外国人トルゥシェ氏の、おそらくチームを掌握していないというショック状態からの、勤怠、熱意消失あるいは子供じみた陣取り合戦の指揮によるものだとすれば、まことに悲しい。トルゥシェ氏個人の事ではなく、トルゥシェ氏と日本人の組み合わせは不適であったということをどこかでだれかがアグリーしてくれないものだろうか。

付記:

田所氏が週刊文春で、中田、松田がマンマークを主張、宮本とけんかした、とかの記事がありと知らせてくれた
6月28日に、フライデーがトルゥシェの中田、小野批判、それは例のフリーキックの際の髪をいじっていたというそれだが、また新聞記者は20年はフラット3を理解できないだろうともいった、自分の指摘もまとをえていないではないということか?
同じく田所氏が、馳がトルゥシェが最後に馬脚を現したというが、そういう表現はコーチには「ない」、小説家のお帰楽な欲求不満のはて、と思える。フラット3を、チンドンしていた奴の1人ではないか?

遅くなって申し訳ないが添付に、原稿送ります。

筆名は、「我満 硫」でいきましょう、どう読むのもいいが「あがみつ りゅう」でいきましょう、読み方によれば「がまんりゅう」ということでまーそれはどうでもよろしい、
筆者略歴をもし必要なら、「某日本リーグクラブ、監督経験者、現在も高校生年代選手をコーチしながら、サッカービジネスの可能性を探る」とでも書いておいてください。これはみんな事実だから

私の職業は、サッカーコーチである。
今回のワールドカップでテレビ解説にでてきた旧日本リーグ選手あがりやJリーグの指導者あがりの人物たちを、その選手時代からコーチした経験もあるので、ゲームそのものにも彼らのコメントにも、ともに期待はしたのだが、まだテレビのサッカー解説やら新聞・雑誌のサッカー評論の分野では、何が正統なのか確立されていないのだろう。試合中は音を消して観るのが習い性になった。
解説者や評論家の口説を聞かず、ただ己の目でワールドカップ日本代表チームの「対トルコ戦敗戦」までの4試合を眺めてきて、どうしても腑に落ちないことがあったので、私なりの分析を書き留めておくことにする。
        *
大会直前に、代表チームをウォッチしてきた人々にとって気になることが、いくつかあった。その一つが、欧州遠征のレアルマドリッド戦での0―1敗戦。この時の失点は、相手のフリーキックを防ぐため、日本が守備ラインを一斉に上げてオフサイドを取りに行き、失敗したものだった。さらに次のノルウェー戦でも、相手フリーキックで同じようにオフサイド・トラップを仕掛けたが、DFの中心にいる宮本がラインを上げた瞬間には、相手キッカーはボールを蹴らず、故意に動作を止めてトラップを外し、その直後に同じ判断をした宮本をあざ笑うかのように、今度は2列目から飛び出してきた選手に決められた。
このノルウェー戦では、なぜか2失点直後にどちらかといえば守備の人、MF服部を出して、攻撃ではなく守備にテコ入れをした。そして、最終選考の選手発表の場に出ることを、他ならぬ代表監督フィリップ・トルシエ氏本人がキャンセルしたことも、懸念材料の一つだった。
さて――。トルシエ氏が4年前に監督に就任して以来、唱えてきたのが、「フラット3」という守備の戦法であった。
サッカーにおける守備の基本を簡単にいえば、守るべきゴールと、最終に位置するバックの間に、相手に侵入されると、失点の危険は高まる。この状態を「裏」を取られるといい、そうされないためには、パスが出される前のボールに働きかけると同時に、意図的に「裏」を狙って来るボールに対しては反転能力を磨いて、相手より先にボールに触らなければならない。それがいわば、守備の「オーソドックス」である。
これに対してトルシエ氏は、彼の独創ではないが、「裏」へ出てくるボールへの守備をバックの個々の判断に求めず、横一線(フラット)になって息を合わせ、ボールの動きに応じてラインを上げてオフサイド・トラップを多用する守備の戦法を導入した。この守備ラインの人数が3人なので、「フラット3」と称される。マスコミ御用達の評論家や解説者がここ4年間、盛んに喧伝し喋り散らしたので、「オーソドックス」を言う者は時代遅れということになった。
その時代遅れの側から見えていたことは、この「フラット3」は相手が十分に研究し手を打ってくるならば、逆用されてきわめてリスキーだという点だ。下手をすると、チーム崩壊の危惧すらある。そして、本番直前の欧州遠征で、理由は何であれ、不出来な2ゲームをした指揮官トルシエ氏のナーバスな心理。これで大一番、だいじょうぶなのか?という不安を感じていたのは、私だけではなかった。

(小見出し)

サッカーでも心・技・体の準備が大事で、監督の一つの仕事は「良い準備」をすることだ。もう一つは試合現場での指揮能力。監督はこの二つが問われる商売である。そして準備と指揮能力は切っても切れない関係にある。
ワールドカップがフランス対セネガル戦で開幕、前回王者フランスがセネガルに敗れて、波乱の予兆が感じられた。日本も緒戦のベルギー戦を迎えた。試合中、「フラット3」の実際の動きをいちいちベンチから指令するわけにはいかないから、監督がそれを託す選手として、DF森岡が指名された。だが、稲本の得点で2-1とリードしていた後半途中、森岡が負傷退場。代役は宮本に託された。
結果的には、前述のノルウェー戦と同じように、宮本がラインを上げてオフサイド・トラップを掛けに行った一瞬、2列目からの選手が飛び出してきて、無抵抗でシュート。試合は2-2の同点とされて終わった。史上初の勝ち点1を挙げたということで、すべては不問に付され、さらなる強敵ロシアといかに戦うか、にわか監督が日本中に出現する事態となった。
私はベルギー戦での2失点を、その前の練習試合からの継続的な流れとして観察していたから、「練習ゲームでうまくいかない」ことが「真剣勝負でうまくいくわけが、やはりなかった」と当たり前に思っていた。で、極言すれば「フラット3は中止」という流れになるのかどうか、新聞紙上での評論やテレビの解説者に期待した。さすがにそこはサッカーの専門家だから、ベルギー戦での日本の不具合を見抜いている人もいたが、「やめろ」とは言い出しかねていたようである。
ベルギー戦の後、私が注目したのは、宮本がインタビューで「選手としてこの大会に参加できてよかった」といういささか脳天気な発言をしたことだった。別に、しおれて自分に責任があります、と言う必要はないが、守備の問題点を感じるべき立場の選手なのだから、そのニュアンスがほしかった。守備について「うーん」とでも唸っていればよかったのである。そしてもう一つ、トルシエ氏がゲームの後で選手にビデオを数回見せて、「ほら、あれ(おそらく1失点目)はオフサイドだった」と強調したという情報も気になった。
つまりこの時点でも、トルシエ氏は己の教条を放棄してはいなかった。

(小見出し)

続くロシア戦の守備はどうだったか?
この試合、ひと言でいえば大健闘だった。強敵ロシアを相手に、トルシエ氏はベルギー戦先発メンバーのほとんどを、すなわち4年間の彼の準備作業を通じてもっとも信頼した11人をグラウンドに送り込んだ。傍の人間がどう言おうが、例えば「フォワードに得点能力がないんだからアレックスを出せ」などというテレビ小僧には耳を貸さず、自分の姿勢を貫いた。
しかし守備について言えば、オフサイド・トラップも用いながら、ベルギー戦とは明らかに異なる戦い方をした。戦術的に言うと、敵が繰り出すゴール前へのボールをとりあえず撥ね返した後も、むやみに守備ラインを上げず、次の攻撃に備える。そのことは、多少サッカーをかじったことのある者なら一目で見て取れた。勝利の後のテレビ解説などでは、ある者は「選手が自分で判断して」ときれいな言い方をし、またある者はもう少し過激に「選手がトルシエ監督の庇護を離れて育った」と、いずれにせよ肯定的にこの変化を伝えていた。
リーグ戦最後の対チュニジア戦は、楽なゲームではなかったが、相手が守ることを意識し過ぎたため、日本が守備の面でその問題を問われるという局面はあまりなかった。かくして、予選突破。日本人の熱狂は頂点にむかって昇りはじめた。
そこでいよいよトルコ戦である。トルコには勝てるからベスト8は堅い、という戦前の楽観論はまったくのお笑い草だと思っていたが、あのブラジルとの死闘(準決勝)を見せつけられた今となっては、誰もが私の見方に賛成してくれると思う。それはともかく、トルコに勝つためにどうするのか、シミュレートしていた時点で気になったことが二つあった。
一つは、トルコ戦を前に日本代表の練習がテレビで公開され、そこでトルシエ氏が自らボールを手に、松田、宮本、中田(浩)の3バックを前進だ後進だと、まるでダンスを踊るように指揮している姿であった。私はそれを見てびっくりした。「なんでフラット3の練習をしているの?それはここ2ゲームではやっていなかったではないの?」と。もう一つは、同日のトルシエ氏の記者会見。一人の記者が「もはやフラット3は崩壊しているのではないか?」と質問した途端、にわかにトルシエ氏は不機嫌になり、その時から翌日のトルコ戦直前まで、選手を怒鳴り散らしていたというのである。
トルコ戦当日。雨の仙台で、トルコの監督はベンチを出てスーツが雨で濡れるのもかまわず、選手を叱咤激励していた。一方のトルシエ氏は、ベンチを出るでもなく、どこか心ここにあらずという体に見えた。いやそれ以前に、あの先発メンバーであり、理由の分からぬ交代策、というゲームになった。
トルコの攻撃は、190センチの長身ハカンシキュルをトップに、スキンヘッドのハサンシュシュを縦横無尽に走らせ、そこへパシュトルクがパスを供給するという布陣。これを中央からの攻撃系とすれば、もう一つ、ユミト・ダバラに右からクロスを上げさせて外側からの攻撃系を共に演出するという考え方である。
やがて前半、相手コーナーキックからの失点シーン。ビデオで確認すればよく分かるが、日本の守備はゴール前でラインを敷いてしまったのである。仮にフラット戦術を一点の疑いもなく採用したとしても、コーナーキックではオフサイドはないのだから、一人一人はマークする相手に体を密着させるのが基本だし、常識だ。走り込んだユミト・ダバラが、ほとんどノーマークのヘッドで決めた。
その後のトルシエ氏、鈴木は出すが同じFW西沢も残す、市川を出してはまた森島に替える……といった誰が見ても不可解な交替策を連発。そのあたり、トルコは日本の力量を見抜いていて、攻めさせるところは自由にやらせてやるという、素人を相手にしたプロのゲーム運びに徹した。
そして雨の中、日本のワールドカップが終わった。「何とも言えぬ不完全燃焼」を感じたというのが、あの時の多くの日本人の感覚ではないか。それから数時間後、割り切れない敗北感を抱えたまま、日本人は、韓国がイタリアに勝つという驚愕のニュースと、ソウル市庁舎前に集まる韓国人の「大韓民国!」とコールする熱狂を目の当りにしたのである。

(小見出し)

アジアの両国とも、ホスト国としてのワールドカップの準備と指揮を外国人(オランダ人のヒディンク氏とフランス人のトルシエ氏)に任せた。そこまでは同じだったが、結果は天と地ほど違った。何がこの差を分けたのか、気付いた点をいくつか挙げてみよう。
日本と同じような体格の韓国選手に対して、ヒディンク氏は予選リーグから常に、パスをいかに繋ぐかにこだわって指示を出しているように見えた。ふつう監督が「勝ち」にこだわると、バックに対して「上がらない」よう指示するものだが、守備の要であり同時にパスの起点である洪明甫には、何のしばりもかかっていないようだった。それだけ、勇気を持って「攻め」に行っていたということだろう。因みに、トルシエ氏は選手時代バックで、ヒディンク氏はハーフだった。
オランダ人はもともと数か国語を話す人が多いのだが、ヒディンク氏の話す英語を聞いていると、韓国選手は「自立した大人として扱われている」ように聞こえた。一方、トルシエ氏のフランス語の語感は私にはよく分からないが、内容はいつも、「子供の日本人がよくぞここまで育ってきた」といったニュアンスの話が多い。
ヒディンク氏には、準備期間が2年もなかった。しかも韓国サッカー界には、外国人指導者を受け入れ難い体質のようなものが根強くある。にもかかわらず何故、ヒディンク氏の場合、例えば決勝点をいれた韓国選手が監督に飛びついて行くというシーンが起こりえたのか。思うに、職人である監督と職人である選手の間に、当然合意ができていたのである。「こうやってヒディンクのサッカーで勝ちに行って、選手は兵役免除や諸々のインセンテイブを得る」――それがその通りになっていくのだから、韓国選手はプロとしての喜びをああいう形で表した。
トルシエ氏は、そもそもの最初から日本人選手をプロとしては認めていなかったふしがある。生徒のような扱いとでも言おうか。そして「トルシエのサッカーで守りに行って、このままでは自分たちのプロとしての市場価値が下がるのではないかという不安を抱く」――そこで、自分たちの信じる通りに修正しようと思った選手と、トルシエ氏の言う通りにやろうと思う選手の間にギャップを抱えたまま彼らがグランドに出て行ったとすれば、大一番に勝てないのは当然だったろう。
選手たちの叛乱、それが言い過ぎだとしても、トップダウン管理の文化とそうではない文化のぶつかり合いがあったことは想像し得る。
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もっとも大胆な仮説は、トルシエ氏は最後のトルコ戦で、己のディクテーターシップ(独裁権)の奪回を試みたという見方である。それを選手や観客に見せつけるために、奇策を弄した。もちろん彼は「奇策」とは言わず、敗戦後「日本の冒険は終わった」と言った。冒険でもなんでもよいのである。それを4年間、準備して温めてきたのなら、彼にとってそれは冒険でも奇策でもないという当たり前のことだ。だが、この冒険とはいったい何を意味するのか、突き詰めたジャーナリズムを寡聞にして知らない。

筆者:我満 硫(あがみつ りゅう)
略歴:旧日本リーグのクラブチーム監督経験者。現在は高校生年代の選手のコーチをしながら、サッカービジネスの可能性を探る。