2002年6月17日(月)
ヤクルトの宮本が、サッカーにというより、ワールドカップについて語る。
「宮本も、野球のワールドカップにはでたが」「誰も熱狂してくれなかった」と。
「すごいですよね、サッカーのワールドカップにこれほどの人たちが熱狂してくれるということ」が『世界では、野球がマイナーで、サッカーがメジャーだということがよくわかります』
宮本の言っている所、彼がプロ野球選手「だけに」説得力がある「金になるなら、そのときそのときの、はやりものに,擦り寄る芸人とか、相撲取り(なんでいんちき相撲とりがサッカーの解説やるの?)」の台本に指定されたサッカーへの感想などよりは、相川考えさせられる。
でもワールドカップが終わって、Jを「見せられる、日本のサッカーファンもたいへんですよね、本物を見たあとですから」「ぼくたちも苦労するんです」つまり、宮本、職人的守備人であるだからといって、その宮本でヤクルトあるいはプロ野球「人を呼べない」そういう現実、宮本あたりでも感じているということを言いたいのだろう。
宮本の言う通りである。
サッカーが熱狂を誘う、と思っているのが,自分のようなコーチということで、サッカーの現場にいすぎた「やつだろう」
ワールドカップが熱狂を誘う、それでいいではないか、と思う人が「増えた」のが今回の韓日共催であろうか?
そこは確かに、こんなにも多くの人が(あえて、サッカーではなく)「ワールドカップに熱狂している」その熱狂という言葉がキータームだろう。
ワールドカップはまた4年後にドイツで開催される、多くの人が4年後の熱狂に「さー自分はどうしようか、とまどろむ程度かもしれないのだが、ドイツに行ってみたいなとか、その4年後に自分とか,家族とかはどうなっているのか」とも考えたりする。
『熱狂』はそのときまでまたおあずけで、よいわけだ。
そのてん、サッカーが熱狂を誘うと「思っていたから」の人生を歩んできたやつは、ワールドカップ決勝戦のその次の日も、なにか動き回っていないと、気が済まないというところがある。
明日18日のトルコとのゲームのために、仙台に空路到着した代表チームがバスでホテルに移動するときの光景がテレビに映し出された。
コメントでは、サポーターが沿道に数百名でむかえて、ああだこうだ、としているが、画面に映っているのは、要するに、「若い女のこばかりであった」
この光景どこかで見た「ところがある」とサッカー人ならおもわなければ、そいつは「ばかだ」
そうJリーグの発足時だね。
彼女たち、といっても「あのときの彼女たちではないが」このなんだかわからないが「かっこうよい男が」「でてくれば、おいかけまわす彼女たち」のこともよくわかる、わかるが、サッカーサイドからすると「頼りにならない」わけだ。そういう学習をしたわけだ。
イングランドの初戦を埼玉で実際に見た。
そのことを、知り合いのザイール人にいったら「どうあのゲーム」と聞かれた。
Game was boring but cheering was looked like in London.
ゲームは退屈だったが、応援はまるでロンドンにいるかのようで、(そのあとに自分は感動した)とつけくわえたのだが、これ本音である。
なんといおうか、あのいわゆるイギリス人たちの「おとがい」の構造が当然モンゴロイドとは異なるので、普通にしゃべっていても「深み」というかボリュームがある,声で、どういうきっかけでみんなが和するのか、わからないが「歌ったり」「コールをしたり」あれが「いいね」ゴッド・セーブ・ザ・クイーンもいいし、あの空間におのれの身をおいて「よかったな」と思った、それからこれは昨日のテレビで,アイルランドが1-1においついたとき、テレビの画面でいい年のアイリッシュのおっさんが、涙ぐんでいたのもよかったな。
結果は負けたが、アイルランドやはりサッカーの古典である。
その敢えて、闘う心が前に出てくるところが好きだ
その「敢えて闘う」という要素でサッカーは野球に「勝てる」と私は「踏んでいる」
ラグビーもその要素は強いし、野球でも選手は敢闘する「心」はもっているだろう、だがコンタクト(からだのぶつかりあい)がゲームの主要素ではない野球、その方向にはいけない。
かつアイルランドでもイングランドでもそうなのだが、日本でも昔は、コンタクトして自分が「痛くても」そのことを「顔に出すな」と教わったが、それをいまだに守っている、という感じを受ける。なつかしかった。
さて、スペイン、イングランド、セネガル、ドイツと8強が次第に席がうまってきた。
トルコは弱い「なんていうとんでもない、よた話しが」みだれとんでいる,真実は16のところからは、「どこも、そこに出てきた」因というものがあり、楽勝できる「というふうには考えない」
勝負を「わける」理由を「試合前、コーチは読み出す」わけだ。
可能性としては、120分PK戦まで考えていくのがあたりまえである。
90分で「勝とうとするのはあたりまえ」なのだが、90分で決着がつかないと、そのさきいくらやっても実は運を「めぐって闘う」だけだということがよくわかっていない。
つまり手持ちの交代選手も使い果たし、選手のねらいも90分で力を出し尽くす、というのがあたりまえだから、あとは気力だけである。
アイルランドもスペインも延長では足がとまっていた。
特別ルールで、延長になったら、1名交代枠追加なんていうのがあったら、また延長に「もっていく」ということも意味がでてくるかもしれない。普通は延長にもっていくというのは、ベンチサイドではPKのことを考え出すということである(つまり延長戦では決着はつかない、またつけられたらいやだと)このPKというのがまたいろいろあって、
1) 自分はキック順、1番、4番,5番を重視
2) どういうわけか経験的に言えば、自軍のエースが「はずす」というケースが多い
3) フォワードがまた「おそらく考えすぎて、はずす」と言うことも多々ある
4) グラウンドの状態も影響する
5) その日のゲーム自体での、パス感とかキック感も影響する
6) キーパーのプログラムは、キーパーにまかせる、ここでもいろいろあって、1番目の相手のキックからおのれの感というかキック寸前の判断で「とりにいくやつがいたり」3本までは「相手に故意情報を与えたり」とか,味方のキーパーのプログラムについては、話し合うが、しょせん「飛ぶ」のはキーパーだから「指示」はしない。
メキシコ対アメリカ、0-2
NHK解説の,木村和司との因縁も深い、昔日産の選手、木村に金をだして,プロになりに、ドイツに行かないかという工作もした相川だが、その木村がきょうの「メキシコの中盤のリズムでは、いつもどおりではない」と指摘するとおり前半アメリカはハーフラインから内側は「こさせないぞ」という守備のかまえをして、それにキシコ、ハーフ→ラインへさげ→またハーフ、という『パスつなぎ』なので(木村の求める)リズムがでないのである。
ではどうしたらよいか?
ここはやはり持論のショートコースを意図的につくって、等間隔(別ないいかたでは、ミドルパス)ではないパスを中盤でつなぐしかない、そのためには中盤でスペースをつくるべくパスアンドゴーをするしかない、というのが、私の考えである。
解説者は「メキシコらしくないですね、ないですね」と言っていれば良いが、コーチは「言葉と説明で」選手に改善を示せなければいけないわけだ。
メキシコは「アメリカのプレスが」「くる」というところで「ショート」コースふつうにつくるが「そこにだしてしまう」結果プレスを受けてしまうか、プレスがきそうだから(という判断で)後ろ(=ライン)にさげてしまう、だからそのあとは、また縦にバックがいれるしかなくなる、という間違いをするわけである。そこにショートをつくる目的が理解されていない、とみた。
メキシコ、後半もその考え方を導入できるわけもなく、またカウンターをくらって0-2で破れた。
めだったのはお互いのファウルの汚いこと、汚いこと、ふくらはぎをみせるとかならず、そこにスパイクが飛んでくる、「あれはどのくらいのえげつなさでスパイクを押しつけてるのかね?」
これで,アメリカはドイツと準決勝である。
ブラジル対ベルギー2-0
4年前の大会でブラジルはフランスに決勝で破れた、わけだが、そのときのゲームを見てると、フランスの中盤における(自分が言う、ローリングあるいは中盤でのスペース作りが目立った)
他方のブラジルは局面でプレスを「かけられても」そのことを気にしない伝統をもつ、つまり相川の言うプレス「はずし」は個人技に依存して、したがい中盤でのポジションチェンジなどにはあまり意を介さず、ということは、等間隔のパスばかりがめだつ。
ただブラジルは等間隔の(ミドル距離の)パスに よるリズムのあいまにドリブルをはさむ、というところが「相手チームによれば嫌な所だと思われる」
ベルギー「そのことを知っているから、」「ワントップ」中盤では,適当にブラジルにやらせて、とってはカウンターねらいを徹底させていた。
足元のボールは最後の最後で守り、高いボールおよび50%50%のボールはブラジル人といえども勝てる保証がないから、身体で勝つベルギーはよせていく、とそういう感じである。
一方ブラジルの守備は、どう見てもプレス不足、また最後の局面でも身体のよせかたはどうして?というくらい迫力を見せない。
負けるぞと感じていたら、リバウドのシュートでベルギー沈んでしまった。
ブラジル「らしい」といえばそのとおりである。
なぜならそのときも右からロナウジーニヨがインサイドへカットしてはいってくる。その前、前半同じようなケースでは、このロナウジーニョやはり、中央へドリブルインしてきて「シュートかな(実際は)ロナウドへグラウンダーのパスという残像があったのだろう、ベルギーのバックは充分人数をもっていたのだが、ややかれらの左につまり、ロナウジーニョの「突破」警戒にバランスをおきすぎて、リバウドの侵入してきたあたりに人数が少なかった。
ベルギーはほぼゲームプランどおり、やったのだろうと思える。
ワントップに単純にボールをぶつけるだけでなく、自分のいう(この場合はワントップだから)2番目(おもにはムペンザ)、3番目(ビルモッツ)、4番目までのブラジルラインのあいだにあくスペースへの侵入が「うまくて」何度も惜しいシュート場面をつくったが、この日はどういうわけかブラジルキーパーのできが「よく」ボール1個分の不運にベルギー泣いた。
監督ワセイジュもゲーム後のコメントで「驚くべき結果におわったかもしれない、なぜならビルモッツの1点はゴールだから」だとただ「ゲームには満足している」とまことによくわかることを言っている。
トルシェ、テレビを見ていたら、かわらず、ラインの「あげさげ」のシミュレーションをしていたのが見えたが「どうなってるのか?」
つまり、選手が監督の言う所を『守っていない』ということを「気がついていないのか?」それとも『選手はトルシェ』と話し合いながら、やっているのか?
現場の新聞記者「もっとつっこんでくれ」