闘う魂

2003年1月20日(月)

赤坂の一ツ木にイグレック書店というのがある。

橋本元総理、御用達の書店だが、なにか変わったところがあるというのでもない。

ゲームに「負けると」長い「悶々とした、夜」を避けるために、(ひとによって,いろいろな方法があるだろうが)自分は、ミステリーとかクライムノベル(犯罪小説)を買っては、その虚構の世界にとにかく,自分を押しこむ、そうなれば、まずはその直前の、ゲームのことは、何も、意識の中には、はいってこない。
だから場合によっては、2冊買ったりもする。眠れるまで、1冊で足りない場合もある。

虚構の世界にはいって、自分の意識「から」サッカーをしめだすことはできるが、他人が、そのゲームにどう感じたかつまり世間はどうかということも同時に遮断してしまうので、相川がそのゲームについて忘れた「ころ」にこのあいだ(のゲームは)どうだこうだ、と言って来る他人に「どぎまぎ」したりする。

日本学園対國學院久我山はいろいろ微妙なゲームであった。

ゲームの2週間前に、学校の副校長先生にお会いしたら「いきなり久我山ですか」と言われた。
ニュアンスとしては、「戦う前から,難儀な相手ですね」という先生の印象を素直に述べられたと,思える。

そこらへんが一般的な受けとめかたであろう、ことはわかる。

選手にはいつも「なにが帝京、なにが国見だ」という言い方をよくする。

チームの事情にもよるが、準備をはじめて、1年ぐらいたったら、そういうことを言い出す。
それが虚勢に聞こえようが、コーチのはったりだろうが、選手がにわかに信じなくてもそこでコーチは、この「旗をおろさない」また、それ以上余計なことを表現しない。
余計なことというのはそう言って「でも」「今はまだ帝京のほうが上だ」なんていうことを言ったりすることである。

勝負の「場」というのは、理屈のうえでは、フェアなもので「どっちが勝つか」などというのは「やってみればわかることだから」試合前に悩む必要はない。ただ気後れ、自分への信頼のなさ、人間的ないろいろな感情に当然悩まされるわけだが、そこらをいくら心理分析してみても、心理分析の「果てに答えはない」そうではなくて、最後にくるのは「最後は、これだけ」ということである。

最後は「これだけ」その「これ」のなかには、表現はいろいろあろうが「やってやるという闘う魂が、あるだけ」ということがはいる。

選手にそういうようにあらかじめ(周到かどうかはべつに)闘う魂を少しずつ、いわば移植していくぐらいだから、コーチのほうは、「久我山、上等」という思いしかないわけである。

で、ゲームは前半、日本学園左右から、クロスをゴール前にとおして、攻勢にたった。

久我山の守備の方法は4バックのフラットで、こちらがラインの裏をねらえば「オフサイド」をかけにくる、ただこちらのトップがラインの前でボールを受けると、ここが久我山が苦労して選手に教えている「ところで」ストッパーは「身体をいれちがわないように守れ」ということを言われているわけだ。

わかりやすく言えば、「ストッパーが、100%自信があれば、インターセプトにでてくる」と言う理屈である。なぜそういうようにしてあるかといえば、仮に50%50%で、ストッパーがチャレンジして、ストッパーが「負ける」とそのカバーが複雑になる「からである」

つまり久我山はそうなると、ラインを崩さなければならない、どう崩すのか?そこを考えられない、だから仮にストッパーが現場の判断で、チャレンジできない、とすると「あたるな」ということになっている、それは相手の高校生がそこで「ふりむいても、どうせろくなことをできない」という(確かに現実はそうだが、少し嫌な感じがする着想)で守備をやりにくる。

で準備の段階で、こちらの選手にそのことは説明してあって、でそう久我山にされたら「おまえらは、どううするのか?」「かんたんなことじゃねーか」「さっさとプレイしてしまえ」と言っておいた。

ここまでをくりかえすと、日本学園は、前半一手か二手で、前を向いた選手が、さっさとウイングにパスをしては、クロスをあげてしまったという、そういうことになる。
またシュートレンジでも微妙に、こちらがフリーになるので、ロングシュートも2-3本飛び出して、そのうちのひとつはポスト直撃、はねかえったのを押し込んだが、それはオフサイドというのは前述した。

ただこの日誌は、コーチのひとたちに、なにかの着想を、ここからうけとってもらいたいので書いているわけだから、自慢もないし、自虐もない。

ワールドカップのときにも書いたことだが、世界のサッカーでもクロス攻撃に重きを置いているように自分には見えた。
だからどこのチームにも古典をしっかり教える、古典というのは、サイドからのクロス攻撃に他ならない。
ただ、ここの部分で、こちらは長身選手をひとりもっていたのだが、インフルエンザで使えなかった。

失点は、ほんとうにたった一度、こちらのバックが縦にパスしてミス、突進する相手に守備ハーフが、不可解な「とびこみ」をしてゴール前で足をふられて0―1であった。

久我山の攻撃はこれも特色があって、4人のラインがラインでつないでその先、10-4=6で、6人の前の選手の足元に長短その時々のパスをつける。
つまりここで言いたいことは、2トップ「も」まず足元にパスをもらいにくる、というわけだ。
日本学園の2ストッパーはいろいろ曲折あったが、ともにスピードがあって、そういうように、こちらのゴールに背をむけてまずさばこうとする久我山トップを,次から次へと、こわしまくって、攻撃の起点をつくらせなかった。

だから0―1の場面以外に、「やられている」という場面はまったくなかった、状況である。

後半、0―1を追いかけるに際して、言ったことは、とにかく前へ行くしかないということであった。勝つためにはひとつひとつのプレイで、「勝つ」しかないわけだからである。そのひとつひとつのプレイの総和が、結果としての勝ち、につながるでしかないわけだからである。

ただ冷静な今考えられることは、久我山は,後半開始から、まず前半日本学園にあげられまくったクロスを「おさえにかかってきた」ということがひとつである。そのため3―5―2の右ウイングがボールをもつと、相手のハーフが守備専門でつぶしにきて、もともとクロスのタイミングが遅い、こちらのウイングハーフはほとんど後半殺されてしまった。

ただしそこで、相手が守りも、攻撃もというようにはこないから、結局相手が「ひいたかたち」になって、後半は日本学園がさらに、攻撃支配というかたちになったが結局1-1に追いつくのがいっぱいであった。最後の20分に中盤にシュートができる選手を交代させたらという、手もあったが、グラウンドの状態から、それを選択はしなかった。無理を承知のクロスで、こぼれる、という古典をできなかった、というところが原因である。

試合では負けなかった(強がりでもなんでもなく)立派なゲームである。
見ていた父母(絶叫していた)もそういうことを感じたであろう。今のところは、それでよしとする、ただ現場では「これから,何を、どう鍛えるか」というきついテーマがある。

ただ、練習を(ひとと同じようにすすめて)次のステージを待つ、というそういう発想は「ない」、ここからが、勝負事の実は一番、おもしろいところなのだが、今の若い人は、基本的には、そのおもしろさを「直感できない」ということは確かにある。

自己鍛錬とか自己修養とかいう考えが、彼らからすれば、宇宙の言葉のようであるということなのだが、コーチのほうもこうやって最大の問題にかならず直面してくる、というそういう日々になってきた、というほかの人にはわかりにくい状況を今年生きる、わけだ。
(この項終わり)