ワイルドライフ
2003年2月10日(月)
2月08日(金)は、練習へは出ないで、横須賀組とかってに名前をつけている、グループと酒を呑んだ。
横須賀組のなかに、サッカーに多少とも興味をもつやつは皆無だから、その席では、サッカーの話しはしない、できない、それでいて1800ホテルオオクラ集合、解散はあらかじめわかっているわけではないものの、深夜2時なんていうこともあるので、8時間「騒ぎとおし」ということもある。
この不景気に、脳天気な話しだと思われるだろうが、昔,読売を辞めたとき、最後にランドのクラブハウスから,小田急ランドのほうに降りて行くわけだが、当時コーチの千葉が「駅まで送って行きます」と言ってくれたので、彼のフェアレデイZに乗っけてもらって、10分もかからない、道を走った。
そこで千葉が、「で、相川さん結局の所、なんで辞めるんですか」と,聞いたので、答えとしては「もうやることが,思いつかない」ということにした。
ここに自分の大脳の限界性と根性のなさも,今となっては、感じるが、そのときは、確かにいわゆるバーンアウト・シンドローム(燃え尽き症候群)を感じたのである。
千葉はノーコメントであったが、むろん「じぶんたちの代がくる、という喜びが大きくて、別に去って行くコーチの心情などに興味はなかったろう」
千葉はそののち、数年して、白血病で世を去った。
千葉の葬儀のときに自分はサラリーマンで鬱々としていたが、かろうじてDクラマーの講義録にあった,言葉を思い出しては、自分を励ましていた、テヘランでクラマーサンが,鬱然とした「失業したコーチ」の相川を予言するようなかたちで、こう言っていたのである。
コーチのあいだの競争はきびしい、契約書などあってなきがごとしだ。
それに一つのチームのコーチの椅子を失って、次の椅子がくる保証などどこにもない、と。
それはまったく今もそのとおりである。
というより日本の世の中全体が、コーチの(クラマーがいう、ワイルドライフ)に今や近接してきたという感じを持つ。
死んだ映画評論家の淀川長治は神戸のひとだが、わけあって、普通の会社員の道でなく、好きで好きでしかたがない映画を見続けられるにはどうしたら、よいかと考えて、映画評論家の道を選んだといわれる、で、そのときに、「好きな道を歩めるのだから、3度の食事が2度になってもそれはやむをえまい、」と覚悟したそうである。同感。
ワイルドライフをどう訳せるだろうか、荒涼とした人生、荒々しい日々、不安定な生活、野性の生涯、それぞれニュアンスもちがう、が、フツーの人なら、あこがれもするし、また怖くもある、という日々だろうが、いざ、そのなかにいれば、「これもまた人生の一局」と言う程度で、すくなくとも自分の日々などは静かなものだ、注意しなければならないのは、その読売を辞めたときの自称かもしれないが「バーンアウト」だ、行き詰まったときに、どうするかだ?
酒のみ,の自己弁護というなかれ、サッカーとは無縁だが、呑めば「自己沈潜」するのではなく「境界突破してくる連中」と要は、馬鹿騒ぎをする、そういうことにもすがっている、のが現在である。
で、その日は信じがたい話だが初見の人が2人、そのうちの1人が,未収金の大金を、私の友人の弁護士がとりたててくれたので、散財しましょうというそういう経緯である、つまり私と、その人とはまったく面識がない、1900にオオクラから、赤坂に下りてきて、有名な料亭の富司林というところにいった。
富司林の、おかみさんというのは、赤坂小学校卒業で、数十年おなじところで商売をしている、いや、ほんとうのおばあさんだが、今でも好き嫌いが激しい性格らしく、私にこんなことをいった「いやね、今の赤坂、いろんなわけのわからない連中がはいってきて、ああだこうだというので、そういうときあんまりしゃくにさわったら、あたしは、」「ふーん、で、どうなの」これを英語になおせば、So What? という言いかたになる,赤坂の生き神さまみたいなのに、「だからどうした?」といわれたら、さぞかしびびるだろうね、と思った次第だが、私の場合はとっさに、2.26事件のとき、この赤坂見付けに、いわゆる叛乱軍鎮圧のために出動した、私の叔父の話をして、老人のご機嫌をとった。
その叔父は、近衛連隊の上級士官隊長で、後年、その2.26事件のとき、いくら下命のためとはいえ、社会の混乱、貧窮、腐敗を直視して、叛乱にたちあがった同じ帝国陸軍の叛乱軍を弾圧したことを、「恥じて」多摩湖だったか、狭山湖であったか入水して果てた。
そのメッセージを家族に残したのである。
遺体が最初はあがらず、からの骨箱で葬儀があって、そのときこれもいまや故人になったが竹田宮が葬儀にきていた。そのことをこのおかみさんに話したら、竹田宮とはそれこそ小学生のころから、お友達で、おかみさんの本名(酔っ払って忘れたが)を言って、○○ぼう、めしをおごってやるよとかいう、ことがよくあったのよ、という話しをうれしそうにして、私に語ってくれた。
土曜、日曜に「遊びにきなさい」というのである。
自分も日曜日のゲームに負けたりすると、こまるのである「どこで、うさを晴らすか」なにしろ、店があいてない「から」とそういうことを言ったら「けらけら」とわらって、「だいじょうぶよ、いくらでもあるから」と、不勉強さをさらした。
境界はとっくに突破して、夜がふける。
2月09日(日)
この日は、日本学園はVerdy相模原とFC杉並は、都立三鷹とほぼ同時刻の練習ゲームだが、東京都の新人戦で2回は勝った、この都立三鷹のサッカーを知りたくて、重心は杉並のほうにおいていた。
ところが三鷹の主力はジュニアユースのFC多摩の連中だということが土曜日にわかったし(学園にも多摩出身者が多い)、対杉並にはBをだしてくる、というので、「ばからしい」ので、学園のグラウンドにいすわった。
相模原は昔読売で選手をやっていた、土持のチームで、代によって、強弱あるのがユースの(高校であれ、クラブであれ)宿命だが、サッカーにとりくんでいるチームである(自分のわけかたでは、本人たちは、サッカーをやっているつもりかもしらないが、朝から晩まで、蹴球をやっているチームと、プレスをやっているチームとそれと、サッカーをやっているチームとそれと最後に、「さびしいので」群れている、別にサッカーなんかやらなくてもよい、青少年集団とこの4っつにわかれるのだと)思っている。
だから相模原と「やる」という意味、それは同じく杉並とやる、という意味は「久我山とやる、帝京とやる」という意味とは「ちがうのだ」と感じるのだが、そう感じない指導者が多くて、口をきく気にもならない。
しめしあわせたわけではないが、学園も相模原もサッカーを「たちあげていく」というそういうゲーム展開に当然なっていく。
だが日本学園のほうが、まだそういうサッカーをやる、相手と、ではこちらもどうサッカーをやるのか、という内容が乏しく、0―1は相模原がしかも、こちらが頭にきたのだが、ワン・ツーをやられて足をふられた、
こういうようにワン・ツーをやりにくる、と言う,そう言う高校は「あまり、ない」だから、みすみす、やられるように、飛びこんでいったのは、そこらへんの「きりわけ」をこちらができないという経験のなさと、いうことなので、「これこそ」がサッカーをやっている理由じゃないか、と昔桐蔭の1規生と韓国遠征にいって、ふだんの日本では、まず経験できない、韓国の高校のチームのサッカーとのゲームを見て,翌朝、長谷部(今は市原のコーチ)に話したことがある。
つまり、練習をすれば、どんなタイプのチームに勝てるというわけではないだろう、世界には、無数のタイプ、スタイルのチームがあって、最初は(そんなタイプ、スタイル経験していないゆえ、負けるかもしれないが)「そのチームをやつけることを、いきる目標として、追いかけていく」それこそがサッカーをやっている理由ではないかということである。
1-1には追いついたが、ハーフタイムに「おまえらには、まずできないだろう」としたうえで、こういうことをはなした。それを補足しながら説明する
○ 相手が高校で、ただやたらととびこんでくるチームだとする、しかも向こうは根拠などないのだが、先生に日本学園なんか「たいしたことはないから、やつけろ」といわれて、どんどん、あたってくる
□ そういうサッカーに対抗できるものだけのものは教えた、また、そういうサッカーに対抗するのはむずかしくない、局面,局面が、こちらが勝てば、さーどういうのか、開けた穴は意外に大きく、そこからいわばこちらのチャンスがどんどん拡大していく
○ ところが相模原のように、あまり飛びこまない、だからサッカー的に守備をやっている、ともいえる、どんどん、どんどん「プレスをかけてくる」わけではないが、サッカーは別に、こちらがキープしたからといって、そのこと自体は致命的なことではない、急所を守れば実はすむ、はなしだが、若い子は、その急所がわからない、だからいたるところで「プレス」というそういうこともわかるのだが
□ こういうサッカー(の守備)をやられると、まだそれを「くずす」ことが、日本学園はできない、全日本でもできないのだが。
□ ではどうしたらよいか、ここでまたサッカーというゲームを考えると、判断が連続して正しければ、ボールはつながりかつ、相手は崩されていく、こういうことがいえる、逆に言えば、正しい判断→だめな判断(おそらくここでボールはとられる)、正しい判断→グレーゾーンの判断→だめな判断(やはり失敗だ)ゲームというのはそのあいだに、守備をして,ボールをとりかえして、また今度は、別なやつの判断→また別な奴の判断というそういうながれになっているとも、そう言うようにも見えるゲームだ,ベンチからしたら、相手の微妙な穴が見えても、なかの選手には感じられない、ということもあるし、中の選手が「穴」を感じて、そこをついても、また上に述べたように、「次の攻撃の流れの中では」「わかっていない奴(の判断)→さらに、わかっていないやつの判断」というような流れになってしまうこともあるわけだ、だから他にも答えはあるだろうが、相模原のような守備をする相手に攻撃をするならば、攻撃のリーダーシップをとる、選手が絶対的にひつようになる、監督と同じように、ゲームが読める選手だ。その選手の判断だってまちがっているかもしれない、「が」その判断を中心にして「しかけていく」しかないわけだ。10人全員に、戦術変更を言い渡しても、そこで変化できることは多寡が知れている、
○ ところが、これこそ今の世の中で「もっとももとめにくい高校生」ということになる、なにしろかれらは指示待ち世代だ、自発的を知らない、他人の領域(そんなものがあるのか)にふみこむのを死ぬほど恐れている
○ だから「おまえらには、まずできないだろう」としたのである。
○ ただし、ここへ、問題が「あがってきた」ということは幸せである。
遅い昼食を、三宿でとって、家に戻っての「退屈回避」のために、また殺人事件をテーマにした犯罪小説を買って、戻った。
(この項終わり)