試合後、ジーコの反省
2005年2月10日(木)
試合後、まずジーコの反省。
「ていねいにパスをつなげず、縦へ急ぎすぎた。うちのかたちから逸脱した場面が何度かあった」
一般ピープルだと、この表現だけでは、深いところにまでは、洞察及ばないでしょう。
むろんそれでよいのだが、コーチは「やはりね」と思う。
試合前、いくつかの論評を書いて、そのなかで、練習でジーコがめざすものは、わかりやすくいえば、上の「ていねいにパスをつないで」というサッカーではあろうと、ここは、たいていのひとが、というかその他大勢のコーチ、業界人、みんなそう感じていることで、目新しいことではない。
2つの練習試合で、も、蹴り、蹴り、蹴りというモードではなく、国内組←ここがキーワード、により大量得点をあげた、ただし、仔細に見えれば、カザフスタン戦でも、相手のバックもキーパーもさわれなかった、サントスのフリーキックとか、要は相手の守備の気合のはいっていない、ミス活用の得点もあって、おがさわら→たまだの鮮烈なパス受け、シュートという場面が連発されたわけでもなかったことは留意されたい。
だから「つないで」で、その先はどういうかんたんにいえばくずしが練習試合でめだったかといえば、右の「かじ」の単純なクロス、サントスの少しはいやらしさを演出したクロス「だけ」といってよいのか、そこは「あるだけ立派」なのだが、とにかく、「つないで」で、その最後はシュートのひとつ前はどうなの?ということ、あまり見えにくかった、2戦目の、鈴木がスルーして、小笠原シュートなんてぐらいかな?いわば、アイデアがあるじゃん、ともいえるものは。
それで、試合前に、相川さんが、言ったのは、ジーコはどうやって、対北朝鮮、最初のハーフに選手を向かわせるか?とそういうことである。
静々行くのか?
トルシェの初戦のように、ぼかすか行かせるのか?
どちらでもよいのだが、どちらのモードでも適したトップと、ハーフがいるわけだともいった。
この試合を見ての感想だが、静々いくなら、おおぐろ、たまだ先発だねと、思った。
それでうまくいかない(のも、サッカーままあるから)ぼかすか蹴りになるしかなくて、鈴木、高原か、ただしおおぐろが、「あの時間帯にでてきて」北朝鮮にしたら、大黒のスピードとてもいやであったろう、だから、ぼかすか蹴り、でもこぼれをねらえる、スピードのあるやつという要素でいえば、高原、大黒でも正解か、代表なんだから、もうひとり、どこかにいないのかね、はやいやつが。
それはともかく、
静々いって1-0にして、で、そのあと、「やはり」崩せなかった、そこが問題。
1-1になって、結局は蹴り蹴りになった、あるいは、ボールは支配するのだが、最後をどうやるのか?最後のクロスあげたの、小笠原で、それは立派なものだが、最後の15分のサッカーは日本人「やれる」しかしつないでいくと、「かんたんにいえば」さいごを崩せないのである。
だから、それを戦前指摘しておいたわけだ。
では、海外組みが「はいると」、その点はどうなるのか?
少しは「ちがう」のである、ただし昨日、しゅんすけ、がはいってということは、どう贔屓目に見ても、そう言う現象がでたとは思いにくい、(永島なんかは高原、しゅんすけがはいったら「ダイレクトプレイが出て」リズムがよくなった、なんて言っているが、こいつは嘘吐きである)だって誰が見ても、しゅんすけは、ボールを長くキープしていた、それはそれで悪くはないし、ジーコの思いでもあったのだろう、ただあの時間帯だとボールをなくしたくない、日本の考えは、北朝鮮の考えをうわまわれる。
くりかえすが、その時間帯の「前」をどうするかなのである。その時間帯=パワープレイをするしかない、最後の15分20分の前で「つなぎ」はよいからつないで「どうするの?」ということ。
最初のジーコのコメントにもどって、では縦を急ぎすぎた、というのは、「だれがおもにはいけないのか?」
監督なら、そこがわかる。
具体的に、犯人がわかる。
外野もある程度わかるのだが「それでよろしい=蹴ってもよいと事前に言っているのか?」そこがわからないので、特定できない。
次ぎに大事なことだが、ボール支配ということは、要するに、つなぐために数がたりなければ、トップに(鈴木と、たまだ)キープのために、フォワードらしくない、仕事をしろということもある、鈴木について「あるJのブラジル人監督が、鈴木はいつもゴールに尻むけて走っていて、ゴールに向かっているのを見たことがないのだが、ジーコはなにを教えているのだ」??というコメントを目にしたことがある。
そのコメントの真偽はともかく、わたしなどもそう思う。
つなぎかたなどいくらでもやりかたがあって、トップの2人も「つなぎにまきこむか」トップの2人は、相手ラインのなかにいさせるか?=基本的にはさがらせない、そんなのはどちらでもよいわけであるが、どちらでも、最後は、トップは相手ゴールにむかわなければならない、柳沢といい、鈴木といい、鹿島「から」のトップはいずれも、「さがって、パスのつなぎに参加するのは、まーうまいが」そのあとが「いけない」というのは、どうやらだれかが、誤解?しているのではないか、これは神様批判であるが、どうということはない。
だめなものはだめ、って、元社会党委員長、土井たかこになっちまうが。
裏を忘れたフォワードなんか、いぬに食われろだ。
さて、コーチを離れて、なにになるかはわからんが、大黒の一点、もしこの予選物語の最後の日にきて、02年のときの鈴木隆之の一点のように、今回の6戦での運命の一発になるかもしれない、というのは、北朝鮮の2回戦、@ぴょんやんはゲームそのものが成り立つのか?全く読めない。
サンケイ新聞にも書いてあるが、北朝鮮の選手にも監督にも、帰国したら「総括」が待っているとあった。
まるで、この試合が終わるのを待っていたように、日本政府は北朝鮮に例の、DNA鑑定は日本政府の策謀であるという、クレームに政府見解をだす、
小泉総理は経済制裁はしない、といったそうだ、
いろいろな要素がからまって、どうなるかわからん。
で、それよりは、イランという巨大な影が
待っている。
しかもイラン、バーレンに行って、0-0わけだ、これは、イランにしたら、OKでしょう。
第1戦はいわば、真剣勝負になったとき「誰がたよりで」「だれが予想どおりには動かない」という微細な評価が当然でてくる。それは日本も同じで、あって、イランも対バーレン「から」当然学習する、日本も学習する、そのうえでテヘランでぶつかる。
日本にとって良い点は、テヘランがヨーロッパに近いことぐらいで、あとは、良くないことでは、あまり語られていないがテヘランは「高地である」ということつまり高地馴化をしたって悪くはないということ、だがどこでやるのか?
わければ充分だ。いやイラン戦2わけでも、2位の可能性はあるわけで、(計算きついが)バーレンつぶしを狙えばよいわけである。
どうでもよいが、どのチームも全部勝てば、18ポイントをとれる。
その可能性のあるのは、もう日本だけになった。
しかしこんな理屈は誰も考えない。
イランと日本が2試合やった時点で、わけならともに、1ポイント、1ポイントの2ポイントになる。イラン(試合順序無視すれば)△対バーレン=1、△△対日本=2合計3ポイント、日本は同じ計算で5ポイント、イランの残りは、バーレン1ゲーム、北朝鮮2ゲーム、全部かてば、9ポイントはいって合計12ポイント、日本は、北朝鮮とぴょんやんで仮にわけても、6ポイント、そこでバーレンとの2試合で、1勝1わけでも10ポイントまでくる。
それに対してうえの計算だと、バーレンは対イラン1ポイント、対日本1ポイント、対北朝鮮2勝したって、8ポイント、一方の北朝鮮も、対日本1ポイント、対イラン0ポイント、対バーレン2つ逆に勝っても、7ポイント、
つまりイランには「負けなければOK」であって、3位になりそうなバーレンをたたけば2位にはいる、という単純なことを言っているわけだ。
でもサッカーはなにが起きるかわからない。
監督としては「テヘラン」での結論は読める、だが、そこへどうもっていくかだろう、先ほどは、試合順序無視したが実際は、最終戦、日本で対イランだ。
その試合結果に関係なく、つまりわけたらイランも、日本も、ドイツに行ける、となったら、多分そういうゲームに「なる」あるいはイランもする、でもそういうようには。なかなか「ならない」だから予選はおもしろい
次回は試合前にジーコがいったのだが「うちは=日本は相手がどうこうでなく、こちらが」といったコメントがあった、これは翻訳するとリアクションサッカーはやらない、攻撃サッカーだという意味だと思える。だが
1) トルシェあるいはJにおける、「リアクションサッカーの良い面は」この日本代表にも当然ある
2) そのことが整理されていない、おもには清雲のむちゃな考えを紹介しながら考えを先に進める
(この項終り)