ボールの走らせ方
2003年3月06日(木)
明日から、また練習開始だが、雪が降りそうな、天気で、おそらく中止か。
2月28日に神奈川の大和で、深夜MEETINGを行って、3月01日にはバンコクにいた。
先回、バンコクに行ったのは、仕事で、丁度タイが、ヘッジファンドにバーツの対ドル固定制度の弱点をつかれて、売りを浴びせかけられて、経済発展が頓挫した直後で、空港からダウンタウンへの高速道路の建設もストップしていたときであった。
というわけで、その時は、空港からホリデー・イン・バンコクへのアクセスもえらく時間がかかったものであるが、経緯は別に、今回は高速も完成していて、ホテルへのアクセスもはやかった。
あっというまに、メレデイアンバンコクに到着。
気温、34度のバンコクで冷房のきいたホテルのへやのなかで、ひまなときは、テレビでサッカーを観ていた。
アーセナル対チャールトンなどを見ていて、アンリのプレイの凄みにうなっていた。
アンリのプレイも凄いが、ベンゲルがどういうようにチームを準備するのか、むしろ、ファーガソンのマンチェスターのケースより、個人的には興味がある。
そこを解析するためには、みなさんが、アーセナルのサッカーをテレビであれ実物であれ、少しは、把握されていないと、興味をよせていただけないはずなので、これもおいおい書いてみたい。
というのは、目先の勝ち、負けではなく、確かに、ベンゲルの指向するサッカーは「守備は組織し、攻撃は選手の自由だ」というコンテンツを、超えていると自分には思えるからだ。
ボールを走らせる、その走らせ方を、テーマにするのが、プロのチームでの戦術と思える。
そういう切り口でベンゲルのアーセナルを、考えたときに、現に、グラウンドの上で、自分が目にできる、アーセナルの走らせ方は、古典的ではあるが、それを選手に、強いている、ということがいつも新鮮に思える。
強いている、というのは、「ああ、やるな」とおもえるとき、かならず、アーセナルの「選手」の「ランのしかた」「ボールの走らせかた」が、統一されている、ということである。
とくに、コーチにとって、のチャレンジ、前半という時間帯、この対チャールトンでも、同じことを観ることができた。
で、後半はどうなったかといえば、中盤がこのプレミアほどのリーグであっても「あいてしまって」すると、あたりまえだが、アーセナルの選手は自然にボールをもって、前をむくかたちになっていくわけで、(すると、前半のような、意図したグループでの動きが)観察する、コーチには「(アーセナルの秘密が)見えにくくなる」のもあたりまえである。
サッカーはいつの時代にも「前をむいたら、何かすべきスポーツ」で、「それが、相手のしつこい守備で、できないから、攻撃サッカーが、守備サッカーに、一時、負けてしまう、そう言うスポーツである」
ワールドカップでもベンゲルは、フジテレビの解説に出てきて、実は、彼の着想の一端をしゃべってはいる、それはどこのチームを評したかは忘れたが、「xxのチームには、MOBILITYが、ある」という言いかたであった。
でも、それ以上、説明はしない「から」ふつうに耳にしても、「??」で終わるわけだが、一言でベンゲルのサッカーを言えば、MOBILITYを追求する、サッカーである、だからといって、グラウンドのうえで、コーチが「さーMOBILITYをやれ」というのも、自分がバカということを言っているだけで選手からやがては、嘲笑されるだけである。
3月03日(月)の、夜の1000にまたバンコクを出て、翌、04日(火)の朝に成田にもどってきた。
バンコクの出国管理で、パスポートコントロールを出たあとも、私のパスポートに、出国カードがはりついたままである。
ただしパスポートには、タイの、イミグレーションでの、出国を意味する、スタンプが押してあった。そしてそこに、JL718と手書きで、添書してあった。
その出国カードは実際に、JLの718に搭乗する、カウンターで回収された。
つまりは、パスポートコントロールで、空港には、確かに立ち入って、タイを出国した、しかしその先「どこか知らぬところへ、行こうと思えば行けた」のであろう、それは今でも「同じだろう」がすくなくとも、告知した、フライトには「乗った」というところまで、追いかける、そういうしくみになっているわけだ。
JLであれどこであれ、航空会社は搭乗口で集めた、出国カードを、イミグレーションにもっていって、そこで、おそらくは、再チェック、するか、何か事が起こったら、検証できるように、その出国カードは保管されるかどうかなのだろう。
前回バンコクにきたときは、そういうことは、なかった。
このくふうは、当局は、何を念頭においたのか?テロかそれともバンコクをベースとした、麻薬取引なのか?
どちらにせよサッカーでも、「守備のくふう」→それを「打ち負かす、攻撃のくふう」→さらに「守備のくふう」と、この輪廻が勝負ごとの鉄則なのであって、フラットとプレスが絶対則ではない。
2003年3月10日(月)
3月09日(日)は、日本学園、練習を強風のもとでやった、試験明け、2日目ということなので、10分ずつ、テーマなしの、ゲームをまわして、各チーム、60分やらせて終わり、そのハーフゲームのなかで、コーチが望むのは、一番高級な意識を持っている選手なら、「試験前の、自分個人の課題は、なんであったのか、プレイしながら、思いだせれば、最高だし、」さらにすごいのは「さー春休みシリーズである、自分は、サッカーに、何を求めるのか?」とでもいうようなことを、意識しながらそのノーテーマのゲームを楽しめば良いのだが、「はたして、そう言う選手は、いないだろう」
イチローであれ、松井であれ、いろいろなことを言っているようだが、私の見るところ、スポーツマンというのは、
1) 練習で、何を、自分は追い求めて行くのか?そこが具体的なイメージになっている場合もあれば、まだ具体的になっていない、ただの焦燥に近い感覚もあろう、どちらにせよ、達成しなければならないもの、それを持たなければ、やっていけないであろう。
2) ゲームになったら、そのゲームのなかで「うまくやっている」というそういうゲーム感覚を、ゲームをしながら、研ぎ澄ましていく、そういうことをやっているのが、選手だろう。
いわば、コーチが与える処方「から、紡ぎ出すものもあろうが」敢えて言えば、「選手自身が、構築していく、技術の世界、そして、ゲームをうまくこなしていく世界」のことをいっているわけである。
当然、このふたつは初心者(の、選手)としては、なかなかに、てにはいらないものであろう、そこにコーチの果たす、一つの役割がある。
何も、わからない、年代の選手に自発やら、自己によるテーマの発見ということをいっても、それは、ほとんど、機能しないことが経験的に、わかっている。
だから、さー経験的に言って、高校1年生、ほとんど日本語が理解できない、それを、誤解をおそれずいえば、「どんどん、どんどん、外から、注入して」いって、いつのまにか、かれらが高校2年生を終える、というタイミングがやってきて、その手前あたりから、けっこう、自発とか自主とかいう雰囲気がでてきたというような、感じを実際、受ける、むろん個人差があるだろうから、手放しで、「さーここからさきは、選手に丸投げ」というようにはならない。
しかし最終的には『その昔は、選手に、あほか、おまえは』と罵倒していた、コーチがいつのまにか『どうなんだ、おまえの意見は』というようにいわば、その接し方が変化していく。
この変化を「選手が、なかなかに、のみこめない」ということもいえる、つまりはサッカー選手であろうがなかろうが、個人の確立というようなことが、ほとんど希薄な日本の社会の影響もあろう。
コーチの理想からいえば、『その時点』になったら、コーチと選手は「同じ追求者」でしかない、わけだ。長幼の序、というものに、あまり興味がない。
少年、中学のころから、その子にコーチ対選手で接して、その子が選手生活を20歳を超えて、サッカー選手であることを続けている、ということ、そうなって、コーチ対選手という関係をどう構築するか、それはコーチ対(少年)選手のそれと、コーチ対選手のそれには、違いがある、というしかない、というようなことを、言っているわけだ。
ところで、この上のいうところが正しいとすれば、例えば、マリノスで、土曜日に、岡田が、1-0で勝ったものの、まったく納得できないゲームであったというコメントを残すというところから、今回の話を展開したい。
新聞報道のみで、ゲームも見ていない、ただ岡田が、「まだ、高いところで相手からボールをとって、外への、早い展開で攻撃サッカーをしきれなかった」ということで、暗くなっているとしたら(またおなじみの、話だが)むろん、岡田の視点からすれば「マリノスの選手のだれかが、岡田の(良い悪いはべつに)着想にに従わない、ちがうじゃないか」というそういうことを言っているというわけだ。
つまり、マリノスの、選手は、サッカーではなく岡田の、サッカー観に「したがわない」といけないというようにしか、読めないわけだ。
同じく、浦和のゲームでも、名前は忘れたが、ハーフの選手が、新聞のコメントで、「はやくエジムンドが、ハーフにさがってこないような、そういうゲームをしなければいけない」というようなことをいっている。
おいおい、『君は、Verdyでの2年間のエジムンドの策略とでもいうべき、かれの着想、あるいはその変化とでもいうものを、読み取れないのかね』と思う。
相川の理解では最初からエジムンドは『名前は、トップだが、実質はハーフ』のプレイを最初からやりたかったというように見える、1年目は、まだしおらしかったが2年目は、完璧に、ハーフとして、Verdyの他の選手の、プレイのしかたそのものを変えてしまった(というように、相川は見ている)
マリノスと浦和、好対象ではある。
私の高校の頃の先輩で、国税庁の、役人としてはトップまでいった人と酒を呑んだとき、こういうことを言われた、「結局世の中は、だれに負けるか」ということではないのか?と
その伝でいけば、「岡田に、マリノスの選手は負けなければならないのか?」「オフトと他の浦和の選手は、エジムンドに負けるのを、承知するのか?」とこういう興味ある、話になってくるのだ。
金曜日に日刊現代を見ていたら、もともとは、マリノスの井原の話しが出ていた、簡単に言えば、浦和を解雇されて家にはまだローンが残る、古巣マリノスから、オファーされた、サッカースクールのコーチのギャラは時給であった、それをきいて、受話器をとりおとしたという、そののち交渉して、年俸、4,000,000円にしてもらったと、私に言わせれば、小学校の選手の、コーチに4,000,000円というのは出しすぎである。
あるが、ここでは、井原の心理にフォーカスして話しを続ければ「井原よ、そういうものなのだ、世間は」それでよいだろう、そこをまずは腹のそこにしみて、わかって、で、ストッパーとしては、負けるなどというのは、おのれをゆるせなかったことだろうが、現役をやめた、今、ここは「負けてよいのだ」ということを言いたい。
負けて、くっついていくしかほかに、生きる道はないだろう、ということを言いたいのである。
だが、コーチも選手も現役はそうではない「負けるか、勝つか、そのさきには、当然評価がついてまわるだろう」考えようによれば、岡田、わがままである、エジムンドむろんわがままである。
まわりは、最初そこが判然としない。
だが、力と結果が、働くのが、この磁場である。
1年目、で2部降格をふせぎ、2年目では、はやばやに、リーグの中位にチームを安定させた結果をエジムンドはただきだした。
文句あっか?というところだ。
マリノスのもともとある、カラーには推定だが「あわない、岡田が」「相川に言わせれば、守備サッカーでこれから、マリノスをひきいるわけだが、結果がでれば、岡田が勝ち、でなければ負け」単純といえば、単純である。
(この項終わり)