フラットくずしの心
2006年3月21日(火)
1度、赤坂から柏までずっと、千代田線で行ってしまって、ずいぶん時間がかかったが、チャンと学習して、今回は、北千住で常磐線のりかえ、快速にきりかえたらあっというまに、柏についた。
駅前で、ただの日本そばやにはいって、ランチ、あるいて、柏スタジアムに行った。
きょうは柏対鳥栖。
J2のチーム、これでこのめで見たのは、柏、鳥栖、草津、ぐらい、まだまだデータは不足、ただ草津などえらい弱いし、きょうの鳥栖も、いくら相手がフラットひいているからといって、足元、足元へつけて、ほんとうに、「そんなことのくりかえしでよいのか?」っておもう。(意味があるとはおもえないショート・パス)5本はつなげるのだが、相手のラインを越えてなんぼではないのか?
フラットを採用するほうは、当然に、ラインは(相手のある種の)ボールに対処し、別なボールには中盤で、フォワード、ハーフが一体となって対処する、ということであるから、めったやたらに、ラインの裏をあいてがねらって「走ったところで」そうはかんたんに、ラインを崩すことができないのは、わかる、だからといって、ラインを崩す、その崩し方が、ひたすら「フォワードの足元に、つけて、つけて」ということしかないのだろうか?しかも、鳥栖のほうがその傾向柏に比べて多いのだが、現実にフォワードにかべいくらぶつけても、みんなそこで柏にやられて、やられての試合を90分たんたんと、やっていくのである。
しかし草津などは、それさえしないで、鳥栖よりもさらに対フラットの攻撃を「いかに、やるのか?」まったくもってわからないというチームであった。
先ほどは「ある種のボール」といういいかたをしたが、ある種のボールは言いかえれば、パス・コースだと言える。
昔は、フラットということはある意味なかったから、どういう守りかたをするにせよ、比較的、ラインの裏が使えるスペースとして、あって、それが意味するところは、ラインの裏へ「通じる」パスコースがあるという言い方で良いのか、パスコースを、つくるというべきか、また出すほうにすれば「さがす」という、そういうことが、可能であったわけである。
フラットを採用するということはざっくりした言い方すれば、ラインの裏のスペースへのパスコ-スがあろうがあるまいが、オフサイドトラップで、その縦ボールは許さない、ということになるのだが、ではフラットラインに攻撃側がどう対処するかといって「さがして」(裏へのパスコースを)だして見ても、まずは、オフサイドあるいは相手が先に、さがって、先にボールにさわる、ということになる。
だから高校生にもこういうことを言っていく。
スルーパスのコースを「さがして、」だしても、まずはオフサイドトラップかけられるだろうに。
するとこういうこと「も」あるのではないかといって、相手のオフサイドをかけにくる、タイミングをはずすアイデアの数々と言う事を言うわけです。
つまり、パスコースが「ないかないか」とさがして「確かにあって」そのタイミングまではボールを持ちこたえて、「さー出したるか」で出しても、結局フォワードがオフサイドのわなに、かかる。
そうではないようにランする、そのうける方の「アイデア」も大事ですが、いくらそこに(つまりは受けるほうの、ランのしかたに)頭を使っても、オフサイドかけるほうが、確かに有利のようにおもえる、したがって、フォワードの切りつけるスピードが、なかなかあがらないので、というかあげられないうちに、相手が得点して、で、こちらが負けるというのが、どこのレベルに行っても、このごろのつまらんサッカーだとおもっている。
で、そこを攻撃優位のサッカーにするためには、数々の対フラット戦術があるだろうそれを、選手に教えることがコーチのしごとであろうと、そのうちのひとつが「パスコースなんかなくてもよいから、相手がオフサイドかけるタイミングをただ「くずす意味合いのあるボールもあるのではないか」というようなことを、高校生に教えて行くというようなことをしています。
ただこれはむずかしい。
なんとなれば、出すほうは「だせるのだが」うける方が、ダイレクトのタイミングで「くるのか?」ということを、わかりにくい、という意味で。
そこでダイレクトストレート(縦パスとでも言う意味だが)だけでなく、縦に蹴るときに、「受けるほうの名前を言え」ということを言い出した。
これはまた別な意味で「縦パスをだすときの」「出しての、頭のなかにイメージを、はっきりと、もちこむ」大脳辺縁系といったか??ようするに「ひらめき」のイメージを、煮詰めることに役に立つのではないかと、かってに思っている。
その際に仮に2トップ「やまだ」と「きむら」だとして、最初は、わかりやすく、やまだに出すイメージならば「やまだ」とコールである、見ていると「蹴ってから」「やまだ」と呼んでいるやつがいる。
ほとんど同時に、「やまだ」に出す場合でも「きむら」と呼ぶ、よびかたもありだと。
今は統合失調症といいかえるらしいのだが、昔は、分裂と呼んでいた、選手に説明してもしょうがないのだが「カレーたべているときに、そばも食べたいな」と思う奴が、サッカーうまくなるぜという話しである。
添付に昔読売で、選手やってそののち、ドイツだったかサッカーの勉強しにいって、いつのまにか、ジェフユナイテッドのクラブマネージャーやっている祖母井(うばがい)さんが、どこかでオシムのことを主題にした講演やってその中身手にいれたので、参考までに、つけておきます。文責は自分にあります。
(この項終り)