清水遠征レポート

2004年3月30日(火)

清水遠征のことを、まとめてレポートします。

昔、はなたれこぞうのころ、横浜のサッカー協会で同年代の「審判やりたがっているやつ」だとか、「コーチになりたがっているやつ」だとか、なんとなく群れ ていた時期があった。

で、そのころは、静岡、の高校は藤枝東あたりが、長池先生の奮闘で、脚光をあびていたころで、長池先生は、日本で初めて開かれたFIFAの公認コーチング スクールで、D,クラマー主任コーチにしぼられて、さっそくその体験をいかされて、強い藤枝東を組織した「というように、マスコミでは、喧伝(けんでん) されていたが」それも、事実の何割かであろう。

それから、すぐに堀田先生などが、リードアップされて清水が少年サッカーの街に変性をとげていき、それがまた、清水の高校の基盤になっていったわけであ る、だから、静岡県あるいは清水へ「からだを運んだ」ほうが、サッカーを勉強できるということで、実際そうやって、東名を走りまわっていたやつらもいたわ けだ。

自分はそうはしなかったが。

例年なら波崎にいくのだが、少しあきたので、清水の大会に参加ということになった。
Medicalやっているときに、清水市立病院に「おこられにきた」なんてことはあるが、そういうわけで、清水の街にサッカーやりにきたというのは、ある 意味初めてである。

初戦、名張西高校、目の前の駿河湾の海がまぶしい。
エスパルスが創設当時から使っていた、蛇塚グラウンドで、ゲーム。芝生はきれいだが、少しせまい。 日本学園なんか「知らないぜ」っていうチームがほとんどで、コーチというのはそう言う意味で「無名のチームをなんとかする」というのと「有名なチームをな んとかする」という仕事があるようだ。
無名のチームをなんとかする、ほうが性にあっていると、かってにおもっているのかも知れないが、無名のチームに「しかし正しいことを、しこんでいって」 「どうですか?」って市場に出す、楽しさというものはある。

コーチ商売にとって、いちばんこの、コーチが「いるから」チームがうまくいくようになりました「と、思われるのは」結局は弱いチームが「変性」をとげてい くということが、説得力のあるところになろう。

ただし、どこかでチームが強力になれば、「あんたはもういらない」ということにもなる、「おれがいなけりゃ、だめだ」と力みかえっても、それは企業と同じ で、いやいやそういうことではない、となるわけだ。

クラマーさんは、あたりまえだが、1973年当時に、だからコーチの内心のこころの問題として、同じようなことを、わたしたちにつげてはいた。
つげてはいたが、「答え」というものは、ひとつではない。

そういうさびしさというもの、をどう内面で処理していくか?その答えをクラマーさんは、賢明であるからして、授業では言わなかった、ただ「おまえたち、 コーチ商売をやるからには、明るさの面と」「暗くはないが、寂寥とでもいう面」があるぞ、と指摘はしてくれたのである。

その寂寥とどう、向かい合うか?それは、個人の問題だろうということだ。

名張西、思いきり攻撃してきたので、いくらでもスペースがあって、勝利。
翌日、今度は、三保の松原に近い、清水南のクレーグラウンドで、まず、仙台2高、「なんでもあり」のオフサイド採用のフラットプラスプレス。

0-1になったのは、こちらの攻撃がフラットを横にゆさぶれないから、だとして後半3-1で逆転。 午後は清水南にたちあがりすぐに2―0になったところで、所用のためいったん東京にもどった。
日曜日、午前はまた蛇塚の今度は大きいグラウンドで、プレス、プレスの東海大、身体能力は高いが、どう考えても、1本調子(だから、ボールを支配している のはどちらかといえば、相手だが、ゴール前ではへぼ)なので、「こちらはオフサイドはとらないのだが」とらない=ラインをあげない、ではないと、ラインを 「あげて」「それで相手の縦蹴り、予見」「さげる」ならその「上げ→さげ」をはっきりしてくれとした。
むろん相手のバカっぽい=ボールのでどころがわかって、むこうのトップを走らせる、縦にはオフサイド可である、しかし2列目からのとびだしには「つきあ え」である。

終って見れば3-0、

午後は、今度は同じグラウンドで、対宇和島東?これはプレスが東海大より弱くて、同じく3-0 翌日は青森西9-1ただしこれは見ないでまた東京にもどった、で、火曜日の決勝は、対静岡産業大学である。まー勝てはしないだろうと連絡して、見に行かな い。

ただし日曜日、試合相手がいないので清水東の2軍か3軍かやって0―1で負けたそうである。

すくなくとも練習試合では「フラットプラスプレス」の崩し方、浸透しつつある。

フラットをひいておもいきりそのラインをあげて、かまえる。
その前の6人、あるいは7人は、とにかくボールに殺到してくる。
そういう描写が、相手の守備戦術の描写である。
こちらはついこのあいだまで、それでもつなげ、ということで、その基調はかわらないが、ひとつ変化は、
相手の攻撃を「どこで止めるか」ということに、神経質になるということである、つまりこちらも「ライン」をあげることに、神経質にならないと、わかりやす いいいかたになれば、相手の10回の攻撃、こちらはとめるが、結局低すぎるところで止める「ので」そこからつなぎだして、「うまくいかない」だから相手の 10回の攻撃のとめかた、全部とはいわないが、なるたけハーフラインに近いところで、こちらも守備をする。

2回はオフサイドで、3回はキーパーの飛び出しで、この10回の攻撃をなるたけ、こちらの低いところで、つぶすという外形をとらないように努力する。
それがひとつと、それでも苦しくなって低すぎるところから「蹴る」わけだが、その蹴りが相手のフラットにしてみたら「ほくそえむ」ようなことになるのでは ないように、こちらの前線の「かまえ」と動きを、統一する、それが、少し効を奏しているというのが、冬の波崎以来の変化だと自分は考えている。

いったん相手陣地にはいったら、あとは、サッカーやるだけという言い方にしている。
(この項終り)