勝負の不思議
2003年4月06日(日)
先回のコーチング日記で、こういうことを書いた。
「多くの場合は、ここで適応できないで、今まで局面、局面で、優位にたっていたのに最後のある大事な局面で「こちらが負けて」そのことが、試合全体の勝敗ということで、こちらの負けということもあるのが勝負の不思議なところだ。」
4月02日に、波崎で、神奈川の旭とゲームをやって、最後にコーナーで、ヘッドをいれられて、0―1のゲームであったが、このゲームあたりが、局面では優位に立つが、最後の最後で、コーナーキックというまた別な局面で「弱くて」試合の結果は負けというサンプルであったと言えるわけである。
見ていない人には「日記」の内容と、ゲームそのものの、中味とが比較できないのだが、比較すればそういうことになる。
このある局面での劣勢、これをどう解決するか?
コーチ達へのアイデアとしては、ここをどうするといっても「長身のキーパーを連れてくるしかない」ということだろう。
4月04日に今回のプライベート大会@波崎、の決勝戦、は、東京の堀越対、神奈川の桐光であった。つまらないゲームではあったものの、両方のキーパーとも、ともに190に、近いのではないかといえる身長であった。
これが答えであろう。
だから、旭戦の0―1については「ほとんど考えない」。
その対旭の前は、愛知朝鮮とこれまた局面、局面で完全に圧倒して、しかも相手が前半開始すぐにコーナーから0―1にしたのを、2―1にしてあと数分でそのまま終わりというところを、バックパス。
こちらのストッパーがそのままけり出しておけばよいものを、足元でとめて、無意味な考えにふけった結果、とられて、2―2になった。
高校生はそういうことを経験しながら、成長していくというのは嘘である。
こういうことをやってしまう、高校生選手が「どこにも行かない」と言うのが正しい。
だからといってその選手を半殺しにはしない、ところが文明社会であるわけだが。
この局面の問題の答えは、簡単で、そののちAチームではその選手はつかわれなかった。
事実こういうことを選手に言うのだが、
『練習なんかどうでもよいのだ』と、『そうではなく、試合をうまくやる』というそういうテーマもあるのだと、この、コーチの言い方の真意を選手がつかんでくれなくてはならぬ。
『試合をうまく、やる』その単純な言い方のなかに「ありとあらゆることがつまっている」
試合で使えて、スキルはスキルだ。
その他にも
ペース配分、
パニックったときに、それをどうやって克服するのか
いくら動いても、ボールの動きとからめないとき、どうするのか
その日のからだの動きとボールのバウンドが調和しない、
見るべきはずのところは理解しているのだが、そこに目がいかない、
相手を止められない、
等々
試合をうまくやるために、選手が集中しなくてはならない、それがスポーツだと自分は思うのだが、練習に没入しすぎるのが好きだという日本人も多い。
また試合でうまくやれなかった、ことを反省しないということもある。