コーチの知りたいところ
2002004年8月02日(月)
よく、東京なら東京で、まー世田谷地区では、勝つ地力をつけた、とする。
それでいきなり天下の清水商業とやっても、せいぜい2点差ぐらいでしょう。
つまり前の日記でも言ったように、平均化ということが、サッカーの世界でも言える、別に、いきなり全国大会常連の強豪と練習試合をやらなくても、世田谷のゲームで、「ここらへんを、押さえておけば」あとは「ゲームを壊さない」というはいりかたで、普段はやらない、やれない強豪とやって、とくに、大差がつくということはない。
日本サッカーのレベル低いといえばそれまでだが。
ましてや、攻撃をテーマにしたサッカーをさせると、負けても、相手を崩した、相手に支配率で勝った、とかひそかな、達成感は試合後に残る。
さて、Verdy対レアルだが、こういう内容になってしまって、アルデイレス「なにを思うか?」それとも思わないか?
まずは「大人」と「子供」だ。
さきほどの世田谷の高校コーチ、別にどこがこようが、試合にはしてやる、と豪語はする、するがそれでも大学あたりとやって、手も足もでない、サッカー的に言えば「どこを選手に改善すればよいか、アドバイスもできない」というようなことはある。
で失点も例えば、0-8とかいうように、ましてや、大学相手にやっても、戦前、けっして「守備」を固めて、失点防ごうというようには、ゲームやらせない、から、余計ぼろぼろになる。
Verdyそれと同じだ。
アルデイレスそれと同じか?
じゃー、高校生にあと3月与えて、そのぼろぼろ負けの大学にもう1度挑戦、(というような、方法論好きだが)では、なにをどうする?という考えをしなければならないとき、まずは「総とっかえ」という誘惑にかられる、
アルデイレス、「ベンチで立って、試合を淡々と見ていたが」そういうふうに思ったか?
思っても?それは自分の仕事ではない?と思ったか?
どういう選手を育てるかは、自分の仕事ではない?と思ったか?
自分にもジダンがいて、ロナウドがいれば、「勝って見せるさ」と思うのかしら?
要するに、サッカー人として「どう思うのか?」そこが知りたいよね、そうではないか?
Verdy頑なに、守備からはいる、戦法はとっていない、まともに攻撃して、あきらかに大学チームにはねかえされる高校生みたいな、「ここしかほかに」パスできないね、余裕のつなぎも、崩しもできないね、というように、自分には「見えた」それはそれで、しかたがない、
これが清雲だったら、(ほんとうに彼もかたくなだが)「代表の重慶での試合を批評するに、なにを言い出すかといえば、」「あのはいりかたではだめだ、」「高い所で守備して」「中盤をコンパクトにして」唯唯と進歩がないといえば進歩もないし、あたっているといえばあたっているのだが、よくわからないけれど、戦法というものはもっと、いつもいうグラウンドという天辺のうえで、自由自在なのではないか?
高いところでプレスをかけて、というようなことが「新鮮であったとき、かつそれが効を奏した」という経験をして、ある世代のコーチたちは、いわば「高いところ」が大好きになった。
まずは、ジーコはそんなこと体験してないんじゃないの?というつっこみが清雲にはいるのでは?
清雲、の高いところ、大好き、それはそれでいいが、わたしなんぞは、できもしないへぼでもあるけれど、なにか無限の変化、変幻をおっかけて生きている、と自覚したい、くちである。
そうでなければ「やってられるか?」
高いところで唯唯「だけ」いって、あとは「知らん」というのもなにか厭きる。
サッカーは他にも「ある」のでは。
で、Verdyはそういう意味では、高いところ?それがどうした?というだけの矜持はもっている、
アルデイレスもまた、外から見るだけだが、あるいは選手に聞くと、ゲームで守備のための位置のとりかたはうるさいが、攻撃をどうせい、とは言わないやつらしい。
守備をどうせい、といえばおそらく理屈としては「高いところ大好き派」になっていくだろう。
Verdy高いところ「からどうする」という戦法採用せず、普通にサッカーやって、何度も言うが、歯がたたなかった。
普通にサッカーやってというが、もう少し正しく書くなら、「俺は、こういうことをサッカーとして、やりたいのだ」ということだろう。
ただそれが、レアルには、ださせてもらえなかった。
そんなことは戦う前から、わかっていても、いいのだとは思う。
それはよいとして、さーアルデイレスは「どうするのかしら?」
それだけが、自分が知りたかった。
レアルの選手がもっている、からだの奥行きの深さ、バックにしてみたら、自分の間合いかと感じて足だしても、まだむこうのほうが先にボールにさわるので、中学生あたりでもわかる、ボールぎわでの「むこうの強さ」そういうものにやられたというように見えた。
だからこそ、国内リーグ戦はとりあえず、5勝5敗みたいな、サッカーはやれるのだろう。アルデイレスもそれは自信があるだろう。
そして、それが「私の仕事」だと仮に言えば、そのとおりである。
レアルに勝つためには、まず金が何百億いるからと、いってしまえばそのとおり。
だがサッカー人というのはそういうものではない。
それこそ断崖から落ちるにしても、爪を地面に立てても、はいあがろうとするものだろう。
狂人あつかいされるから口外はしないにしても、その闘志がなければ、やってはいられないだろうに。
だから、そこでアルデイレスの気持ち知りたいな、ということである。
ところで、皮肉でもなくてVerdy普段、味の元スタデイアムで試合して、観客五万はいることないのだから、試合後の観客誘導最悪である。
国立ではいくら混んでも、5分10分で、人々は散じることができる、とにかく列が進まないのである。
責任者でてこい、であろう。
まだ暑い夏が最低でも一月は続く。
自分のチームは順調に、進んでいる。
いかに「つなぎ」の精神を生かしながら、も蹴って当れのサッカーに勝負でも負けないようにする、ということがずっと追求しているテーマになる。
別に、他のチームにもレアル「どう見ますか?」ってなことは聞かない。
世界最高のチームのひとつは、ああやって、
1) ボールをワンタッチでとめて、
2) とめるときに必要なら、フェイントがはいって
3) ロングボールをやたらに、蹴りこんで、とられる危険は犯さず
4) 間合いのある選手に足元パスを送り
5) Verdyがひけば、ドリブルがはいり、でてくれば、ダイレクトのパスがはいり、スペースができれば展開のパスがはいり
6) 守備では、ラインはVerdyの選手のスピードのなさを、感じたからか?トップとの距離、あまり神経質になってはいないようには見える、しかしひとたび裏をとりにきたら、反転のはやさ、裏をとらせない速さは、すばらしく
7) それで最後のゴール前でも変化か?はやさかその両方かがある。
そういうサッカーをからだがきくあいだに経験させてやれば、やがて野球をするやつは、いなくなるだろうにね。
(この項終り)