オリンピックチームに見るコーチの役割


2004年8月16日(月)

日本対イタリアの前に、例により、あとだしじゃんけんではいけないからとして、山本の小野起用「なぜいけないか?」どんどんコンピューターにうちこんでいたら、殆ど終りかけていたところで、フリーズ。

しかたがなくて、消去。
頭にきて、そのあとはなにもしなかった。

その大要は「守備中心に物考える、山本、攻撃にも欲出した」「それが小野の導入」しかし守備をあまりにシステム化すれば、あたりまえだが、そのシステム(微妙であったり、精緻であったり)を機能させるためには、歯車を11個用意するしかない、サブも歯車であろう、いかほどに「いや、自分は選手の個性見定めて、チームつくりました」と言いはろうが、素人はだませても??玄人の疑りぶかい目をくらますことはできない、そういうシステムがそれが良いか、悪いかは別に「あるところに、」「歯車ではない、小野をいれた」ことそれ自体が、誤った、判断と書いた、そして消えたわけである。

月曜日の、朝起きたら、対イタリア、2-3で負けとある。

善戦だとか、そうでないとか、そんなことはどうでもよろしくて、2試合で7失点という、サッカー、山本したかったわけではあるまい、たった1枚、小野をいれただけで、なにかが狂ったという見かたが正しいかもしれないし、そうでなくてワールドカップのときと同じことが、皮肉にも、起きたのかもしれない。

つまりトルシェのたぶん常軌を逸した、規律サッカー(それがどういうことかは散々に述べたから、理解されたいが),
それが「いやだが」「代表としてワールドカップに出たい」で「はらのなかは、ともかく、おもてむきは、トルシェ様」で前日までは過ごして、先発指名をうけてピッチに立ったら、「ちがうサッカーをやる」という「あれ」

早野あたりに言わせてもその「あれ」は「確かにあったが」しかし「早野の場合は、でもしょうがないでしょう、選手の立場を思えば」という、整理されていない、コメント、で、02年のときも、相川さんが、思ったのは、「山本、アシスタントとして、」その「あれ」にどう接したのということであった。

コーチは選手の利害調節者である一面もあるわけだから、選手とくに、プロ選手が、暮らしていけるような、判断やらサポートをしていかなければ、やっていけない商売ではある。

でも、去年阪神が優勝したときには、星野氏は、大幅なリストラをして、そのうえで新しい選手の導入もした。

どう理性的に考えても、星野氏に切られた、リストラ組は「おもしろくはない」しかし新しい阪神が優勝してしまったから、星野氏の「判断は冷酷でもあり(リストラ組に対して)、保護者然でもあった(新たに導入した選手たちに対して)」まま、歴史が決まってしまうということになる。

多聞、わかりやすくいえば、シャッフルできるのは「1度」で、そのあとは、コーチも選手も運命共同体というアプローチしかないのだろう。
コーチも、アシスタントコーチも、選手もである。
トルシェが「いやなら」選手も、アシスタントも「辞めれば」いいだけ、
辞めないなら、結局は、トルシェにふたごころ「もってはならない」わけだ。

トルシェ、山本のペアは、相川さんの説が正しいとすれば、02年のときにどういう、アプローチをとるべきであったろうか?というより、推定だが、「お雇い外国人トルシェ」と心中立てするか、そんなのごめんだとばかりに「山本、適当な距離おいていたのではないか?」そして、それをトルシェにも当然見ぬかれていたのではないか?

つまりヘッドコーチとアシスタントコーチの関係や、いかに?という問題提起といえる。

さて02年はもう終った。

そのとき、それが良いか悪いかいまだに協会でさえ、結論だせないトルシェの戦法およびマネージメント、それをサポートしなければならない立場にあった、山本のアシスタントとしての仕事のやりかた、(はぐれたフランス人なんかに、おのれの生活、託せるかぐらいの心理ではないのか?と思うのだが)わたしは、その「あれ」を山本、どう自分のなかで処理したかしなかったか、それが今回噴き出たのではと思っている。

つまり、欧州の人買いマーケットという側面をもつ、オリンピックというステージで、選手は飛躍を思って、02年と同じ「あれ」が起きたのかもしれないではないか?

自分をアピールするためには、守備なんかで、走りまわっているより「目立とう、目立とう」としたかもしれないではないか?

あくまで推測ではあるが、だとしたら、どんな仕事でも同じだろうが、たなあげして「無視をきめこんだ」ことに、「ここで」後頭部直撃されたということではないのか?

関係あるか、ないか?
こんな話しを聞いた。
あるひととよく、行き付けのスナックでいっしょになる。経営者なのか?なにか事務所の責任者なのか正体わからないのだが、こんなことをはなしてくれた。
「10年まえだと、採用者自分が面接するんだけど、面接ではいいね、
でも実際には、働かない、そういういわば面接の歩合みたいなのがあって、さー100人で20にん(好い結果が)ってところだったけど、今は、その率が5%だ」というのである。「面接の達人」だとか「ハウトーもの」だけは読んで来て、なかなかインタビューでは、ぼろ出さないようになってきたが、実際に働き出すと、なにんもしない(考えて見ればあたりまえだが)やつが増えてきた」というそういう話しである。

サッカーの世界だって「若者が功名心に駆られてつッ走る」でもいいわけだし、コーチがそれを「否定するではなくて」「チームワークのなかで、生かしてやる」ということなのだろう。
山本が描いたサッカーがなんであったのか?そこのものさしをあてたら、おもしろいだろうに。
ジーコが、最初は、いわゆるヨーロッパ組みをあたかも無条件に先発させおそらく、国内組みは腐っていただろう、理由はともあれ、アジアカップで、中田ぬき、稲本ぬきで戦わせて、優勝してしまった、それもまた「ものさし」である。
つまりは、アジアカップでのジーコと逆のことをやってしまったわけだ。
だれもそんなふうには思わないだろうが「攻撃は、小野さんがやる」とかってに思ったかもしれない、あるいはその逆に、「小野なんか無視だ」ぜかもしれない。
こういうことはサッカーの世界ではよく起きる。
別に公費つかって、ビジネスクラスでアテネに行かなくても、そこらのほこりだらけのグラウンドで、良く起きていることである。

ひとのあげあしとっている場合でなくて、明日から、3試合、鉄板レースだが、なにがおきるかわからないサッカーで、都大会にあげて、ということをやらなくてはならない。
(この項終り)