サッカーのチーム造りと指導者の思い


2005年9月06日(火)

選手権予選、都大会の組み合わせが、できてきて、1回戦は都立の竹早高校だから、眠っていても勝てるのだが、2回戦は、國學院久我山だって。

昨日眠っていて、うつらうつらしていたときに、その昔、舞岡中学と、とあるチームに試合させていたことが、夢にでてきた。

井上千尋先生が鍛えていたころの舞岡で、ある、といっても、他所の県のひとにも、今の若いコーチであれ、なんであれ今の、世代のひとにはわからないだろうが。

井上先生の、信念であろうと思える、キックを、気持ちよくインステップで蹴る、そこが、まず基本みたいなお考えがあって、ボールの空気をめいっぱい、いれる、まるで、鉄みたいに固いボールを、助走のときから、たった、たった、た、と小さいステップでよらせて、上半身アップライトにさせて、足をふらせる、そういうことが印象に残るチームというか選手群であった。

当然「よせ」もはやい。

無表情を強制されているような、「もたもたしてたら、おまえら、踏み潰すぞ」みたいなオーラを発揮して、こちらに、よせてくる、守備、で、こちらも、ある程度、そういう圧力のサッカーに、対抗する気持をいれておかないと、やられる、そういうサッカーであった。

中学あるいは、ジュニア・ユースの、いまどきのサッカー、見ているわけではないのだが、あのころの、舞岡「みたいな」サッカーやってくる、チームなどとんと、みない。

それが残念とかいうのではなくて、もともとサッカーのチーム造り、そこに指導者の、思いが大いに、まぶされていていいじゃないのと、言いたいだけである。

小生意気な、相川さんは当時は、簡単に言えば「舞岡の選手だと、もっとラテンの匂いがほしいな」という「局面で、」「あれじゃ、固いね」と思っていた。

いまだに、ある程度はそう思っている。

よそに、どんな議論があろうがかまわない、曰く、日本人は「狩猟民族ではない」「から」とか、日本人は、組織を重んじる、民族だ「から」とかたわけた、こといろいろ言ってまわる、ひとがいる「だから日本のサッカーは、だめだ」と言いたいひとがいっぱいいるのは百も承知で、でも、できのよいときのブラジル代表は理屈を超えて、不感症の相川さんにでも、興奮を与えてくれる、ことは確かであると、言いたい。

つまり、ブラジルを真似はしないが、ブラジルのサッカーにひとつの目標がやはりあるのだ、ということである。

日本はブラジルでも、ラテンでもないが、同じように、ヨーロッパといっても、アングロサクソンは、アングロサクソンであって、そのサッカーと、スラブ系民族国家のサッカーとか、あるいは、スペインのサッカーどことなく違うわけだが、大胆に言えば、違いを超えて、サッカーが持ついろいろな、価値のなかで、爆発する、リズムとでも言いたい、選手の「動き」というものこそ、共通のそして、得がたい、魅力ではないのか?

ブラジルを追いかけない、しかし、この地球のうえで、今のところは、もっとも、その爆発的な、リズムをつきつけてくる、ブラジルが追い求めている、サッカーの、魅力をどこまで、「日本人」も、だせるのか?

それがただしい、サッカーへのアプローチなら、「紙に書いてある定理を選手に覚えさせても、その得がたい、ことを、グラウンドで実現できないのである」だから昔の寺山修二ではないけれど「書を捨てよ」である。

そして、どこの、どういう迷路でもよいから、寺山の言葉で言えばそのあとに「街へでよ」なのだが、コーチは「世界に出よ」である。
世界に出てしまえば、迷路へ、迷うこともある以上、そのままどこかの袋小路で死んでしまう、ということも含めて、コーチの人生だ。
昔、ジョン・ウエインの映画にインデイアンに連れ去られた白人の娘を、さがすという捜索者というのがあった。
原題はThe Searchersだと思ったが、その非日常的な旅の日々、そういうものにあこがれすぎたので、コーチなんかやっているのか、ただ、表向きは、ただの生活者であっても、サッカーをサーチすることなくなれば、ただのぬけがらである。

それだからマニュアル、くそくらえである、と言っているわけである。

そのあたりまえを、日本の国内でだって、認めろ、と自分など思う。

というか認めてくれなくてもよいから、コーチは、おのれの心臓のリズムを自覚しろといいたいだけだ。
マニュアルというのは、ただ参考にすればよい。

ねずみとかうさぎとか小動物は心拍数も高いとか、うさぎがもの食べている、口の動き見ていても「くちゅくちゅはやい」そこに敵がやってくれば「さっと」逃げる。

牛は反芻しながら、ゆっくり、ものを食べる、野性の牛だと思える動物も、アフリカの草原でそばに、ライオンよってきても、「おいおいだいじょうぶか」と言いたいが、まだゆっくり食っている。

どういう、差異がなぜ、あるかは浅学であるゆえに知らないが、人間にも微妙な、生得のリズムというものがあって、そのリズムに反した、ことは苦手である。

ジーコが代表に課すサッカーに表れる、リズムもどことなくブラジルに似ているのだが、しかし、ないものねだりで、本物のブラジルのリズムを、感じない(のはしかたがないではないか)

井上先生は亡くなられたが、井上先生が中学生にやらせたかった、サッカーはサッカーで、まったく問題ないどころか、多分鹿児島の薩摩藩士が、大刀背中に背負って、たったたったとまあいを詰めて、いきなり相手の脳天ぶんなぐるような、太刀裁きをみせる(示現流とかいうのだそうだが、間違っているかも)そういう考えに、似て、で、井上先生がそういうことを研究されていたかはわからないけれど、もともと日本人に「あった」ものの考えであり、輸入ものではない、というところが大事であろう。

ただし、そうやって一撃必殺で、行くのだが相手に、そのまあい見切られたら、2の太刀はなくて、相手に、切られてしまう、つまりは「やるか、やられるか」ということになっている。
これだけが日本人ではないのだが、こういうことがけっこう日本人好きなのね。

ついでに言えば「こういう考え方」を今の子供はまったく、苦手にしていて、(だからだめだとはいわないが)みんな「リスクを負わない、リスクを避ける」という日々を送ってきているわけだ。

サッカーでは別に切られて「死ぬわけではない」のだから、だからこそよいのだが、人生のシミュレーションとして、では実社会そのものを、いくら年金制度がどうだろうが、保険が発達しようが、つまり社会が文明のもとの環境に置かれていくことがとりあえずの方向であっても、とことん清浄とことん安全とことん誰かがサポートしてくれる、そういう環境になるもんでもない。

だから、そうではない環境に置かれて、さーどうするというときの、たのみは、結局その人のもつ、人間の知恵である、というそこのところをスポーツで、シミュレートしているわけだ。

そういう普通でない環境で、「こちらから、切りかかるか」それとも「切りかけられて、それを防ぐか」どちらにせよ、知恵しか他に、頼るものはないとして、(ハリケーンに襲われて、ニューオルリーンズは壊滅してしまった、それよりも、混乱は、野蛮を、招いていること、そのなかにあって、バスを盗んで、人々を、テキサスかどこかへ連れていった、黒人の少年の企てのほうが、よほどに、考察の対象だろう)それがなんだかわからないが「あなたに」きりかかってくる、ことへの対応という、部分が、シミュレーションとしてのスポーツにあって、それより他に、スポーツをやることのメリットなど、ないであろう。

で、そこのところが、スタートからして、弱い、ということを言っている。

井上先生のサッカーに勝つことを思えば、久我山に勝つことなどやさしいわね、となぜか思った。
ただ、言い訳ではないが、選手が「まず奮い立つ」ということを、最初から期待できないというだけだ。そういう世代あるいは、そういうように育ってきた世代だからである。

3日に調布でガンバ対Verdyを見てきた。
いや、金とれる試合じゃない。

Verdyのほうは、こう言う発言するとすぐ「思惑あるんじゃないの」と勘ぐるやつもいるのだろうが、このブラジルの監督にまかせていても、いつになっても「覇をとなえる」というわけにはいくまい。

もっともアルデイレスもどういう仕事をしたのか、わからないが「巨人」を星野にまかせるって、悪い冗談と同じような方向にVerdyもむかっているのではないだろうか?

ただし、負けないサッカーのつぼは知っている。
むずかしいことではなくて、攻撃はワシントンやらもうひとりのブラジル選手に「まかせて」せいぜい3人だけ、カウンターねらい。
ラインの3バックはまずは攻撃にあがらない、サポートも遠慮勝ち、2ウイングハーフはサイドに「いて」相手が攻撃してきたら、絶対に、ラインの横のスペースを責任もつ。
だから言い方で言えば、5バックだ。

そのラインの、前で2ボランチ、が相手を追いかけまわす、というまーどこかの高校でもすぐ採用しそうな、システムである。

でも結局、ハーフの守備で破綻が起きて、で、それはありうることだから良いのだが、そのあとの「反発力」を、見ていたら、「反発はなかった」予定調和のごとく「一点いれられたら、そのまま」惜しいなという攻撃があることはあるが、終わった。

むろん、サッカーの世界ではこういうように理屈のうえで「守備を固めて、カウンターをねらい」それで、1-0で勝つという考え方はある。どっちに転ぶか?成功するときもある。
だけれど、ガンバとVerdyの地力って、そんなに「開いているのか?」とそこを、つかれたら、監督はそのサッカー命でやっているからよいのだが、そういうアイデアをもってくる、監督を任命したフロントは「どういうようにかんがえているのだろうか?」と、問われるにきまっているではないか。

まーひとのチームのことはよろしい。

藤沢の大庭のグラウンドで「相川さん、こんなところでなにしているんですか?」って声かけてきたのが、小柴先生であった。
国体神奈川選抜の最初のころの選手である。
県立鎌倉につまり出身校にもどってきたというわけらしい。
グラウンドにいれば、ある人々とは接線がかならず、できる。

日学のグラウンドに久我山の藤原先生が「いやどんな調子か練習見にきました」ってきたりもした。藤原先生は早稲田の1・2年生コーチしているが「早稲田の東伏見」も人工芝になりましたって。
今度その人工芝で、大学生と試合させてもらう。

自分が、初めて、日学にきた当時のハーフの今は順天堂大学の、片山君がグラウンドにやってきて「教育実習」で今、やってきましたと、そうかそろそろ、若い世代に、まかせるかという思いにもなるというものだ。ただ生涯一コーチだから、また「荒れ野」を開墾ということはしたいわけである。
なぜって、血は未だに騒ぐわけで、騒がなくなったら、どっかに楢山節考だねと思っている。
(この項終り)