クリンスマンドイツ戦
2004年12月18日(土)
高校生は試験あけて、練習試合で、駒沢公園へ行ったり、相模原へ行ったり、いつもながらの年の暮れ。
ドイツ代表対日本の試合は、テレビで見ていた。
おもしろいゲームであったと感じる。
自分が見ているチームならば、練習試合でも公式試合でも、ひとつひとつの試合の重さ、軽さ、というものがなんとなくは、わかる。
わかってどういうことになるかというと、最初から「勝てる」とおもうときもあれば、「むずかしい試合になる」というおもいにもなるので、そのうえで、選手
に指示を与えるわけだ。
練習試合でも勝つのにむずかしい試合で、勝ったほうがよいと思えば「勝て」にこだわるし、メンバーの交代も注意する。
勝つのがわかりきっていれば、そこから先、2ヶ月後に「でてくれればいいか」というようなテーマを「やってみなさい」といって送り出したりする。
とくに練習試合だと、去年までは、内容というか、極端に走ったテーマが「でればOK」みたいにしたのだが、今はそこを「やめて」どんな試合も勝ちに行くこ
とにした。
勝ち癖つけろなんてよくいうけれど、そういうことはあまり考えなくて、練習試合でも、シナリオと、そのシナリオが狂ったときにどうしようか、というような
判断を選手に要求するので、「勝つことに、こだわれ」としたわけである。
選手としてはわかりやすいわけだろう。
クリンスマンのドイツは、当たり前だが、ドイツ開催のワールドカップに向けて、時間はいくらでもあるということである、で、その余裕のなかで、「なにをね
らうのか?」ほんとうのところを「聞いてみたい」という思いはある。
ブラジルにやられた、ときのドイツ、自分の記憶では、ごつごつしたとしか言い様のない、おもしろみのない攻撃で、選手の体格の問題はさておいて、これだっ
たら、トルコのほうが見ておもしろいサッカーかなというようには思った。
クリンスマンドイツは、むろんまだチームとして完成途上なのだろうが、2002年ドイツと「ちがうんだよね」という感じは受けたのであるが、気のせいかも
しれない。
あるいは日本の「あたり」なんかかれらにしてみたら「あたり」と感じないほどであったので、余裕もって、好き放題のことしたのかもしれない。
いつもながらの(ただ実際にグラウンドで相手している日本代表の選手は異論があるかも知れないが)フェアーな、「しかし」はげしく深いタックルの連続で、
「まーよく、ボールのあるところあるところ」に選手が「行っているね」ということが、最初に感じたことである。
このフェア―にサッカーをやる、というコンセプトも、ブラジルかぶれの日本人にはこのところ欠落というか、さっぱり「わからない」ような状況になっている
のではないだろうか。
どちらにせよ、ドイツのブランドである。
なんらかのブランドがあるということは、悪いどころか、それで生涯、食いつなげるということもあるのだから、そのブランドをもっているひとは、大事にしな
ければならないのだが、そこがわかっていないひともいる。
こういうサッカーを学生・高校生に「させたい」ねと、感じる自分は少数派になってきているのだろうか?
聞きにくい、日本語なのでずっとはそうしなかったが、副音声で、リトバルスキーを引っ張り出して、(そういうキャラで売り出したので、おばかなこと言わざ
るをえない、川平慈英と)解説??をしていた。
リトバルスキーだって、あたりまえだが、ドイツサッカーのブランドものなのに、川平にあわせて、日本語で軽いことを言っている。
どうしてそういうことになるのだろうか?リトバルスキーに違和感をもった。
重いことを話せというのではない。
ドイツのブランドのありがたみをわかっていないやつじゃないのというのが自分の思いである。
リトバルスキー「なんどには」とてもではないけれどわからないことなのだろうが、かれの先輩たちがつくりあげてきた、ドイツサッカーのイメージがあるから
こそ、彼はコーチ商売ができたはずなのである。
ただ、自分の言語でコーチやるなら、とのかく、ドイツブランドと、そのカルチャーを「今の日本で選手に、主張することはひどくきつい作業なのであろう」
わかりやすくいえば、例えば「プライド」というような言葉自体知らない、知らないのだから、コーチが「それでもおまえは、(ボールを扱うことに秀でている
からこそ)ハーフか」とあるやつが、ボールを扱えないから、ののしってで、「ハーフのプライドもて」と言ってみても、その言葉は、風穴に響く、だけで、こ
ころの底にもとどかないのが今である。
日本語を知っている、日本語をもちいて、コーチと選手のあいだにあるべき「距離」を意識しながら、軽薄ではないことを、しゃべるのが、コーチなのだが、リ
トバルスキーに限らず、外国人が日本語を用いて、同じことをやろうとしたら、多聞いちばん簡単なのは、若いやつらの軽薄さに迎合するのがよいのであろう。
そうすると、わかいやつらは、偉大な選手リトバルスキーが「自分の目線におりてきてくれた」ような気持ちがして、にやつくのではないか?
コーチリトバルスキーとして、そこから失敗が始まるような気がする。
なにしろ、日本人の使う日本語が通じないのではなくて、上からものいわれたり、英語でいえばPUSHだが要は押されているかのような、人間関係になると、
どうしてよいのかわからなくなってしまうのが多いので、緊張してしまうというのが今の相場なわけだ。
クラマーさんがすべてではないが、彼が日本にきて、武士道というものが[日本にはあるだろう]として、当時の選手の精神性を鼓舞したかに見える時代より、
さらに時代は、奇妙な方向に向かっているかに見えるのは、ご承知のとおりである。
解説なんかはどうでもよいのだが、ドイツサッカーのもつ、少年にとっての良きサンプルが随所に見えた。
そのドイツがどちらかといえば、引き気味でかつ、前線でも日本にプレスかけたので、まず勝ち目はなかった。
ジーコはドイツに負けたことはない、みたいなわけのわからん、言説などはご愛嬌だろうが、「だから欧州勢を偏重」するのだとジーコも思ったことだろう。
負けて覚えるサッカーだから、北朝鮮やらイランあたりと年あけたら、けずりあいのサッカーやらなければならないわけで、そのためには、よかった試合のはず
なのだが、ではいつも選手にいうのだが、ある相手にきょう負けて「明日、同じ相手が試合してくれるとしたら」「おまえら、どうやってリターンマッチにのぞ
むの?」ということである。
ただし、メンバーが、その決戦シリーズのときに、対ドイツ戦メンバーのなかから、だれがでてくるのか?ということがすこしひっかかることではあった。
来週は相模原カップに参加、そのあと波崎で、2004年も過ぎていく
(この項終わり)