クリニック(#9)

2005年2月24日(木) 練習 1530-1700 @栄光

2日続いてというそういう練習である。

そういうとき、絶対そうしなけれならないということはむろん「ないが」昨日の最後の試合形式での練習で散 見できたいくつかの、「テーマ」を次ぎの、日の「アップ」の中味に選ぶというようなこともできる。 昨日の試合では、フォワードが「裏へ」走らないという欠点を見たので、3人1組、ひとりは、たまだし、ひとり はバック、最後はフォワードという役割のなかで、たまだしに、裏へのパスを、出させた。

中3のどこかの組みが、裏へ行けと、言っているのに、フェイントして、あしもとにもらいにくるというような、要 は、「練習とはなにか」についてただしい、姿勢をまだ、もっていないやつがいるのが目に付いた、結論とか らいうと「そんなものなのだが」うまくなる、うまくならない、ではなくて、練習(テーマつき)に意識をこめろ、とい うことが、まだわからない、わけで「他にもいるはずだが」当然、そこを、教えていくわけだ、ただ、批判はしな いば、こういういわば大甘な態度というものは、「そんな態度で、のぞむなど思いもよらぬ」雰囲気の練習を 経験してしまった、結果ともいえる。
もっと平たく言えば、練習をなめて、それですんでいた、日々があったということになる。

これはどこにいってもしばらくは、感じることなので、栄光だけが悪いとは思わない。

自分が適当にやっているとはむろん思っていないわけだが、客観的に見ればただ「流されている」だけで、 進歩は「少ない」
ということだが、そこを、例えば、玄人から見たら、「あおき」ののびしろは「良い」と思えるし、なるい、さか い、さいとう、でさえ、伸びているということが、むろん中3にはわからないわけだ。

例えば、きょうは、縦短いから、ラインで、キープあまり期待はしていないわけだが「いちむら」がミスをするの に、比較して、「なるい」は「同じことを」ミスしない、そういう小さな、ポイントをコーチは評価するが「選手」は 当然気がつかない。
なるい、さえ、おれのほうが上だという意識もっていないだろう、つまりコーチから見たら「チームのなかにあ る、 価値観が」おかしくなっている、という見方をするわけである。

本来は「例えば、いちむら」が「おれは、なるいさんに比べたら、へただ」と「自覚」するとしたら、すでにして チームないに「ただしい価値観が流通している」と観察し、むろん、それをもって「よろしい」と、コーチは満 足するわけである。

だが今の時点では「まず、そういうことはないだろう」
そういうパスの感覚が巧妙であるのが、栄光なのだ、という価値観が支配的だとしたら例えば、青野のような やつは、もうとっくにいなくなっているわけだ。


(記録:相川)