クリニック(#11)

2005年3月12日(土) 練習 1500-1700@栄光

1) アップ:例により5対2を取り上げた、目的は、どの5対2でも同じで、「逆トリ」である、きょうはヒールでバックのあいだをとおせとした。レベルの低い選手は、とてもじゃないが「どうしたらよいかイメージすらわからないだろう」だがあるレベルを超えた選手は、あたりまえだが、そのテーマにトライして、かつ成功もしている。一見トリッキーなプレイだが、センスのあるやつにしてみれば、自分の財産にさらに「ひとつ」あたらしいものが加わった、ということになる、そうでないものはどちらにせよ救われない

2) ロングキック(パスにあらず)をとりあげた、4人1組、やさしいボールを思い切り「キック」である、うまくいくやつもいれば、まったく蹴れないやつもいる、どうしてまったく蹴れないやつが「いるのか?」ここは柴野先生に、といたいわけだ。

この練習はかれらが初めてであっても、当たり前の如く、キックが逆タッチへ飛べば、チームは安心なわけだ、相川は、これはやる必要はないな、と思いたいわけだ、しかしそうではない、どうして?ということになる.強いチームを作る=簡単に言えば「蹴れる」である、しかしそうでもなかった。蹴れないやつがいたからといって、そいつがだめではない。戦術練習うまくたちまわるだろう、しかし、要は、対湘南戦で、そこで「蹴っておけば」そのことで勝ちはしない、しかし、ヘボキックだから「そこで負けてしまう」というそういう現実を柴野先生がどこまで、深刻な問題として、認識しているのか?そこに勝負のあやが、あるのだということを指摘したいだけだ。

3) シュート、アウトサイドにひっかっけて、シュート、これはただ栄光生に、インステップキックを墨守することがただしいのではないというそういう練習である。

実際の試合で、栄光生だと、いかにもまじめに、インステップで蹴りにいきそう、そうではない、サッカーは、という1つのレッスンである。結果でなくてもかまわない

4) ウイングのインサイドカット、:おとななら、これがサイドにおける2対1をより充実させたいひとつの、「教え」であることがわかるはずだ。ウイング(ハーフ、バック)の、2対1の使い方のひとつである。アップして、しかしダウン、足元にもらって、「で、おれはどこへ行くのか?」行きたい所へいけばよいわけだ、この練習のようにインサイドカットでもかまわない、おれは、クロスをあげよう、あげようという固定観念を「ちがうだろう」といっているわけだ。そこを解決しないと、クロスをあげる練習がうまくいかない。

何週か前に、柴野先生がクロスを選手に要求しても、うまくいかない、ということへの答えである、サッカーは「今からクロスあげるぞ」という雰囲気を、フォワードが出してしまえば、練習でもあいては、それを封じてくる、で、結果クロスは誰だって上がらないわけだ、だから、この日、相川がこだわって、どうでもいいが平がさいごまでわからなかったようにいきなりパスしても結果でないだろうということである、真中を襲うという雰囲気をだすから、そのさらに外側はフリーになって、で、クロスをあげられるのであって、パスをただクロスを出す可能性のある、奴にだしたからといって、クロスを蹴れるわけではないのがサッカーなのだ。あたりまえのことである。

で、そのうえで、クロス、蹴れるだけのまあい、をもっていても、クロス蹴れない、ここではじめて、それはおまえら問題だぞ、という話になるわけだ。しかしあえていえば栄光生、そうやってクロス蹴れて当たり前の状況で、蹴れない、そして蹴れないことを「恥じない」ここで初めて問題になるわけ。

だから、あえていうわけだが、もし「以前に、柴野先生が」玄人から見て「その場面で、クロスがあがらないだろう場面で」「選手に」「おまえ、だめだよ」と言ったとしたら、それはまずかったわけである、仮定の問題だが、そこでは黙っていた、しかし「今は」「そんなにフリーなのに、なんでクロスしっかり蹴れないの?」と叱責しても良いだろうしかし以前に、いわば、間違ったタイミングで選手に「おまえおかしいよ」と言ってしまったとしたら、「今、ここで、言っても、選手の同感を得られないだろう」という話になるわけだ。そこをご理解いただきたい。サッカーはサッカーで常に決して、いいかげんなものでないということだ。

5) 1対1、理屈はともかく、いかにボールへはやくよれ、そして、コンタクトで、相手に「勝て」というだけの練習、グラウンドが悪くて、ゲームやらせる気にならなかった。

(この項終り)


(記録:相川)