クリニック(#24)
2005年5月04日(水) 練習試合 対聖光学院@栄光、0-0
部活動というコンセプト、指導者の一存で「いかようにも描ける」
またチーム創りというコンセプトも、指導者の一存で「これまたいかようにも描けて、運営できる」
その二つ、に差異はある。
チーム創りはいわば、その対象者、せいぜい20名以下である。
部活動といったら、今の栄光でも40名ぐらいいる。
よその高校だと今の時期、100名超がめずらしくない。
部活動は、その他の、学校におけるすべての「生徒としての」行動のいっかんという意味合い当然あって、部活が荒れたら、(それをどうするかは別に)学校マタ―になって、部長の首飛んだりする。
実名をさけるが、ある監督が、大事な試合の日に、遅刻したわけだが、それで一発で飛んでしまった。
たまたまその日、学校の副校長先生もはりきって、試合を見にきていたら、監督「こないね」という話しで、だれがちくったということでもなかった。
チーム創りというコンセプトは、どこへ言っても同じかしら?(勝たねばならんとか)そうは思わない、なぜかといえば、チームは結局試合という戦争に行くわけで、その戦争「やるまえに、 勝てるのか、勝てないのか?」という彼我の、力量調査とでもいうものをやるわけだから、 勝てそうもない「戦さ」というものもあったり、それでも「勝て」と死ににいくこともあったり、赤子の手をねじるようにかんたんに勝てることもあったりだが、とにかく、いざ、戦争の中の戦闘が始まるまえに、綿密にそこらを考えるのが指導者で、あって、わかりやすくいえば、「どんな戦争にも勝てと」「例えば今、言い切れるのは、アメリカぐらいだ」それと同じで、どんな戦争にも勝て、言い切るための客観条件がない、チームいくらでもある。だから部活動の目的は戦争に勝つことではないといえる。
大胆に言えば、コーチはチーム創りを担当するもので、部活動のほうは、実はどうでも良いのだが、ただし、チーム創りと部活動当然連動していることを知っているので「部活動」を(好もしく運営するために)良かれという施策に対して「それについては、おれは無関心」という態度だけは出さない、ようにしなければならない。
栄光において、部活動「かくあるべし」を担当しているのは、相川ではない。
チームかくあるべしについても、担当しているのは、相川ではない「が」そこには口を出すということになる。
相川のスタンスを言っている。
先発メンバーの決めかた:
●あおの(3) ●いちむら(1) ●くにやす(1)
●あり(3) ●あおき(3)
●ささき(3)
●さかい(3) ●なりい(2)
●みうら(1) ●いまご(2)
対聖光、これが先発である、
自分のてもとには、対瀬谷の先発が、以下のように柴野先生から届いている。
■柴野:A戦のメンバーは次の通り。青木は蓄膿症のため具合が悪くて25日以降学校も休んでいたので欠席。葛原、池田も風邪。中田・高橋は風邪で先週土曜から練習に来ていなかったので水と記録、副審。
GK:高森
SW:市村,ST:出口(吉田)、国安(青野)
DMF:有澤,成井,OMF:佐々木,
RMF;酒井,LMF:井上(出口),
FW:今後、三浦(藤田)
■相川:これを、相川的に描くと下記になる
●でぐち(1) ●いちむら(1) ●くにやす(1)
●あり(3) ●なりい(2)
●ささき(3)
●さかい(3) ●いのうえ(1)
●みうら(1) ●いまご(2)
でぐちの代わりに、あおのが先発。
まず、きょうはなぜ「でぐち」がいないのか(顔を見なかった)と思える。
では、この日、いなかったでぐちについての処遇を「チーム創り的な視点からも」「部活動的な視点からも」どうするのか?そこが、相川の疑問である。
あおきについては、病気であったわけだから、よいとして。
いのうえはいわば、復帰、あおきに押し出されて、この日はAからはずされたわけだ(いのうえはグラウンドにきていた)それでよいのかしら?
長いが柴野先生の対瀬谷のレポートを引用する:
■柴野:A戦の前半は、相手がロングの縦パスを入れてくるのに対して、DF陣が相手のFWとの競り合いに出遅れて競り負けたり、マークをはずしてしまったときに、FWが落としたボールをMFに縦に入れられて、何度もゴール前まで押し込まれた。
一方、ウチは左サイドから何度か相手の裏まで抜け出すことができた。例えば、今後に当てたボールをボランチに落として、左サイドの井上がサイドを上がったり、FWから井上につないだところへ成井がオーバーラップしてクロスを入れた。また、サイドとパス交換した後、三浦へハーフライン手前からスルーパスが通り、ラインカバーに出ていたGKの頭を越してループシュートを打つが決まらず。全体に押し込まれていたが、有澤と成井がよく動いて、練習どおりの攻撃がいくらかできた。
しかし、終了5分前に国安がロングの縦パスを受けた後のトップのマークをはずして、裏へ出されて失点する。すぐに国安と青野を交代して、後半に臨む。
●相川:ここまで読んでも、いのうえがだめだという表現は見当たらない。他方「くにやす」は、いってみれば懲罰的な感じで「あおの」と交代されている。相川自身も懲罰的な交代をしないとはいっていない、しかし懲罰ならば、次ぎの試合もはずす、選手に、冗談めかしてだが(その実本気で)「おまえは3ヶ月ださないから」とちゃんという。しかるにくにやすは対聖光戦で、復活だ。
ここがよくわからない。
■柴野:ハーフタイムは、次のことを話す。
・縦パスを裏へ入れて、相手はそれをまた縦パスで返してくるから、そこへのチャレンジをねらっていくこと
・中盤のこぼれ球を拾ったら、早くサイドへさばいて、サイドのパスゴーから攻めていく
・FWは1人目が動いた後のスペースへ2人目が動くことをねらって、そこへロングを入れること
後半は、立ち上がり5分は栄光が両サイドから攻め込んで、酒井や三浦がフリーでシュートする場面も作った。しかし、左サイドで相手のスローインからこぼれたボールを縦に入れられて、FWからすばやくクロスをいれられ、中央で相手のOMFに決められる。
その後も栄光が攻めたが、相手の中盤でのプレスが早く、結局、FWにはいいパスが出ず。DFからのロングに対する相手の寄せが早く、正確なキックができず。後半は、かなり暑くなったので、後半20分に裏をねらう動きが減った三浦と藤田を入れ替える。攻め上がれなくなった井上のところに出口を入れて、STに吉田を入れる。
● 相川:やっとここでいのうえがへばったかのようナ書き方になっていて、対瀬谷では交代になった、だから「へばった」から交代は理由として、よいが、対聖光で、「あおき」が復帰、だから「いのうえ」ださない、という理由はどこにも表現されていない。チーム創り的な視点からして、「いのうえ」はずばり、今後鍵を握って行く選手と、相川には思える、しかしその選手へのとりあつかいがぞんざいである。また部活動的な視点からしても、トップチームには、全員が「あがってきたい」というそういう夢をもたせてよいわけなのだが、では、トップチームに「はいったり」「でてきたり」という「だしいれ」、とわれわれは言うのだが、その考え方が、柴野先生、明確ではない。
● 相川:というのは、対生田の試合では、井上のところは「出口」がやっていた。相川の出口評価は「積極的に」こいつは「良い」も「悪いも」ないぐらいであって、まだリストにのぼってはこない、それでも、高1の選手の中で、「チーム創り的な視点からして、だれが、ファーストクラス乗客(の候補か)」それを本人にも知らしめる、のが今の時期だということであるから、そう言う意味では相川自身が、名前さえ知らない、高校1年生<よりは、ファーストクラスに近いので、ひらたくいえば「おまえに期待しているぜ」というこちらのメッセージを与えなければならないのである。
現に、例えば市村は生田、瀬谷、聖光と3試合先発で、これが意味するところは、だれがなんといっても「市村は、評価されている」と思えるわけだ。評価している、期待しているはよいけれど、そのうえで「おまえは、こういうところは、だめ」ということをしていく場合と、まったくリストにものってこないと、いう現実をそのほかの選手につきつけて、しかし部活動的にはいいじゃないのサッカー続けようぜ、というそういうことをしていかなければ、高校サッカー部なんかどう考えても、空中分解するのである。
● 相川:そういうところまで進めてきたら、チーム創り的視点から見たら、対聖光の先発だって、大きくいじってかまわない(対瀬谷は知らず、しかし対生田、その程度のパフォーマンスだから)、対瀬谷(惨敗しているのに)対聖光でいじらなければ、わかりやすくいえば、1.5軍的にポジションをねらっているやつらの「動機」を殺ぐということになろう。「そうか、このチームは、信賞必罰か」というポリシーを選手に見せつけなければならないのが、多分柴野先生にわかっていないことであると思える。
別な言いかたしたら、トップへの間口、広くとっておいたら、部活動が、活性化する。そこで対聖光まず、「あおの」を交代進言した、理由は、とんちんかんなプレイを2度続けたからである。あおののかわりに、あおきをラインにさげた、しかしあおきはマンマークの役割を期待された、教育というならわかるが、持ち味としてならこれもおかしい。市村のところにおくべきでしょう、と進言したが、なぜか行動とらない。
● 相川:みうらも交代させた。なぜなら試合はずっと栄光が押しこんでそれでうまくいかないのだから誰が見ても二トップとあがりめがおかしいのでそのことに気がつかなければならない。三浦、ささきをひっこめた。三浦のかわりにいけだをいれたとき、先生には「こいつはだめだ」と言ったのは、いけだという選手がだめだということではなくて、池田のかっこうを見ていたら、「いますぐ、三浦のかわりに、かわって、闘う、そういうかっこうをしていないからである」そういうことを選手ぜんいんに教えて行く、ことがなかったので、別に池田の責任ではない。チームが強くなっていく過程で、追求して行くいわば、強いチームならもっている、様式に柴野先生が無知であったということである。
もっともよその学校も無知なのだが。ついでに池田の交代のときに、柴野先生がタッチラインについていって、審判っていうようにご自身が声をかけたりしていたが「それもやめたほうがよい」それは過保護である。コーチはそう言う場合でも、この場合ならいけだが「どうやって、声を」「大きくだして」「さー三浦の代わりに、俺はやってやるぞ」という自己アピールをしてくるだろうかと観察しているものであって、交代させてやっている選手が小声で、「審判に聞こえず」「レフェリー」とかいっているとそれだけで、すぐひっこめるということなどいくらでもやるのである、なぜって「闘う存在になってほしいのに」そこで大声だせないでどうするの?ということでしょう。ちがいますか?
■柴野: 後半の25分に縦パスを藤田が落として佐々木に受けさせようとするが、息が合わず、こぼれたボールを右から左の裏へ蹴りこまれて、相手のMFのクロスが直接ゴールインする。28分と30分にも同じようにハーフェイライン辺りで奪われたボールをSTの外側に入れられて、1つ目は競り合ってファールしてPKを与えて、2つ目は突っ込んだところをかわされて決められる。後半25分過ぎは、疲労して、スピードがなく、ミスを奪われて押し込まれた
。
試合後は、選手同士で中盤の強化が必要なことを話していた
いままでのところチームに要求している「様式」は
1) 白線のなかでは、親も子もない、名前呼び捨て
2) 交代のときに、いつでもいけまっせと準備万端なやつをイン、交代のセレモニーは選手自身が「やる」
この二つだけ。
試合は0-0であったが、それがなぜあんな相手でも3-0、5-0にならないのかというところにこそ、選手の資質、練習へのとりくみ、部活動そのものの内容の変更、などいくつかの鍵があるのだが、そういうことを語れる、ところまで「きた」ということはいえる。多分、こういう微細な視点はコーチ以外にはわからないことであろう。
(記録:相川)