クリニック(#26)
2005年5月19日(木)
土曜日、茅ケ崎で負けたので、栄光では、好むと好まざるとにかかわりなく、ここ「から」また新チーム切り替えである。
だから今まで、機会をとらえて、説明してきたことを、くりかえすのだが、
1) 部活動をやっていく、ひとたちから高校3年生が、去っていく。
● 日本学園の場合では、総体ではなくて当然選手権の最後の試合が、「選手」と「コーチ」の別れの日であるので、いつであるかは別に、負けたその時のグラウンドで、コーチは高校3年生で最後まで残った選手にひとりひとり「ねぎらい」の短い言葉かけて、握手して「わかれる」結果がどうあれ、「(およそ)3年サッカー自分のもとでやってくれて、ありがとう」と述べる。一応最低のセレモニーを行う、栄光では、まだそのセレモニーをやるという、気がおきない。
それから卒業式まで、高3は大学受験か、各種学校の受験か、進路を決めるしごとがあるのだから、サッカーやりたければグラウンドにきてもよいが、その方向性を決めるということに専念させる。方向が決まって、コーチに報告しにくるやつもいれば、こないやつもいる。高校卒業ののち、コーチと人間関係、もちたいのか、もちたくないのかそれは「自由だ」ともともと言い渡してある。
2) 栄光の場合、部活動を「休まず、さぼらず、熱心に」全員が「やっていく」という環境にはまだなっていない。去っていった高校3年生をのぞいた、高校一年、二年に「部活動のなかで、ただしいことを」「やっていく」ということを、また「言いなおさなければならない」部活動は「サッカーうまくなくてもよい」「うまくなっていくために、いくつかの、選手のタイプ(ぶきょうなやつなら、こういうように)(うまいけれど、あきっぽいやつには、こういうように)というようなそういうプログラムをぶっかける、わけだからそれを「やれ」というように進めて行くなかでそれぞれ、の上達をはかればよい、そのためには、チーム創りの過程ではむしろ、チーム創りと無縁なレベルの選手のほうに声かけていく時期となる。
3) 他方、チーム創りのプロセスのなかでは、茅ケ崎までの「考え方」「先発」「サッカーのやりかた」また「がらがらぽん」で「自由で良い」ということになる。それはたとえば、どんなに、選手として不満があった「あおき」やら「ありさわ」であれ「ありさわ」がそこにいるから、たとえば、そのくみあわせとして「だれそれ」を先代のチームでは使った、と言う事が当然あるわけだから「ではありさわ」がいなくなれば、また白紙ということになる、白紙であって、本当は、対外試合をまたやりながら「だれそれ」のむきふむきをコーチが観察していく、そう言う時期にまたきた、ということを、選手に言った。
だからきょうのフルゲームも自由度をまし、メンバー、ポジションも自由にした。
だれが「だめ」かというより、だれが中核になっていくかが大事である。部活動ではなくてチーム創りということでいえば、「でぐち」「あさかわ」そこらへんを中心においていくであろう、中学のとき「どうだこうだ」はまったく参考にもならない。
(記録:相川)