クリニック(#22)

2004年9月21日(火) 練習1530-1700@栄光

中3に「パンチショット」を説明。

一対一はなぜやっているかといえば、どちらかといえば「守備」側の問題を基本から、やっていると考えてもらいたい。ただし、まだ、なにもコーチはしない、この練習方法も、いきなり、実は実戦的な要素をふくむ、いろいろ考えて、練習をデザインすることもあるが、子供達が「遊んでいる」シーンが練習のデザインをするとき、現実的でかつ効率的である場合が多い。

この練習ひとつとっても、栄光生「相手にパス」をだしてそこから一対一開始、といわばステレオタイプで
「偏執」している、だからそういうことを、解除していくことも、大事だと思っている。
練習であっても、あたかも試合と同じように、一対一があっというまに一対ニになったり、うしろから追いかけて来たり、追いかけてこなかったり、ドリブルの最初に、「間合いが」あったり「なかったり」どちらでもよいわけで、それをかえって練習化すると、現実味がその練習から失われる。

7対7:

MTG:フリーと間合いがあるということは「同じ」と説明した。しかしどうでもよいがライン→ハーフへのパスの「ものさし」(ハーフへの良いパスか、悪いパスか)を言うときに「間合い」がないよとか、言う場合が多い、では「フリー」のものにパスはフリーのかわりに「間合い」と言う言葉つかってもむろんかまわないのだが「まえをむいたハーフ」かのでてくるボールは「できればフォワードにつくのがよいのだが」間合い十分なフォワードというのは考えにくいから、どう言う言葉をつかおうが、要は、フォワードが「とられない」』ボールは結果として、フォワードフリーということだろう、そしてフォワードフリーでなければ、ラインが「でてきて」180度のターンでなくて90度のターンをしているハーフからボールを受けろとした。その結果、ラインからひとがいなくなって「も」むろんかまわない、とした。

きょうの練習を見て「依然、要求していることができない中3も」「まだ」いるわけだが、多聞、「次ぎのステップ、テーマに進む」ほうがよいと感じた。
そういうものである。
全員が「できるまでは」待ってはいられない。

(記録:相川)